評価や競争に関して、公正さが重要なのは言うまでもありません。
芸能に関する評価は曖昧な部分も多いですが、公正さを意識することは大切です。
芸能事務所移籍後、テレビで見掛けなくなったタレントについて、元々実力や報酬に問題があったという見方がありました。
その見方が正しいとすると、これまで必ずしも十分でない芸能が提供されてきたということになります。
ただ、テレビなどに出演し続ければファンもできるので、事務所を移籍したからといって急に人気が無くなったり、実力が落ちたりするとは考えられず、極端な変化があるとすれば、一般的に事務所の影響力が公正さを阻害している現実があるのであろうことが推察されます。
事務所を移籍したことで低評価が露呈したのだとしても、事務所の影響力に問題がある点では同じです。
また、世襲的なことは、機会の平等を含め、公正な評価からは遠ざかりますが、継いだり継がせたりする自由や文化の継承に関わる面もあります。
自由と平等のバランスを友愛の意識を基に保つということになるのでしょう。
思いやりを基にして自由と平等を考える必要があります。
世襲を認めるにしても、富の社会的な再分配が重要ですが、それが全く不十分です。
自由放任に傾いたままの格差社会は不公正です。
少し話がそれますが、芸能は人々を楽しませてくれるものですが、入れ込み過ぎて現実の生活が疎かになってしまうと、経験機械につながれているようにもなるので、時を経た後で後悔が伴わないように現実側に多分にアドバンテージを付与して趣味の判断をしたほうが良いのでしょう。
思考実験としては、現実が不幸であることが明らかであれば、経験機械を選択するほうが良い場合もあるように思われます。
さて、政策に関する評価という点で、国の政策が地域の利害関係で決まってしまうのも不公正です。
一部の人だけに負担がある場合には十分な配慮が必要ですが、原発でも基地でも、その存廃が地元の利害で決まるのでは不公正です。
地元への見返りは、政策が変われば廃止されることを住民が理解したうえで、政策の受け入れを判断する必要があります。
見返りの利益のために政策を続けさせようとするのは、利己的な利益誘導に過ぎなくなります。
地元の生活を考える必要がありますが、政策の趣旨が地域振興目的でない場合には、政策の存廃が特定地域の利害で決まってしまう状況は不正義です。