叙勲や褒章についての国家主義的な側面を無くしていくべきである。
対等な個人の関係で感謝を示す場合には、頭を下げるとすれば感謝を示す側である。
感謝する側が多数者になり、国ともなると、功労ご苦労であったという形式になっている。
天皇が国民統合の象徴であるなら、謝意を示す立場であり、そうすると上の立場から授けるのはおかしいことになる。
受ける側が深々と頭を下げるのもおかしなことである。
役立てたことをありがたいと感謝したほうが幸せになれるが、権威者に対して深々と頭を下げるかどうかは別のことである。
名誉欲に応えるシステムならやめたほうが良い。
旧来、権力者は武力のあとで神を持ち出して権威付け・正当化をしてきた。
しかし、宗教国家でなければ神を後ろ盾とすることはできないし、軍事政権でもなければ武力によることもできない。
代わりに憲法で象徴、総意などと曖昧に規定することにより、過去の権力者の子孫への崇拝を存続させる環境を整えている。
国民は国家に付き従うべきであるという構図が維持される、国家主義のレトリックと言えよう。