自粛要請について後で考えたことを記す。
(私は何の専門家でもなく、このブログでは、自分の思考・意見・思いを書いている。)
要請という表現は、法的根拠がない場合には使うべきではないように思われる。
政府が要請することには、正当性があるから、法的根拠がなくても自粛の形で従うのが当然だという社会では、自由主義社会とは言えないと思われる。
それだからこそ、欧米では法的根拠に基づく緊急事態宣言が早く出される面もあるのではなかろうか。
呼び掛けや協力のお願いは良いが、法的根拠が曖昧でありながら心理的圧力が掛かる要請といった類は問題があると思われる。
緊急事態宣言に基づく要請に従わなくても罰則はないそうだが、法的根拠に基づいて総理大臣や知事によりルールが設定されるので、赤信号で歩行者が横断歩道を渡るのは違反だが罰則はないというのと似てくるのかもしれない。
外出が禁止されるのであれば赤信号だが、外出自粛の要請だと赤信号ではないのかもしれない。
生活の維持に必要な外出以外はしないようにという要請であれば、それ以外は禁止という赤信号かとも思ったが、要請自体がお願いの域なので、赤信号ではなさそうだ。
控えるというのも同じなのだろう。
信号無視のような違反だと、罰則は無くても警察官は注意することはできるのかもしれないし、職務質問につながりやすくはなるのかもしれない。
緊急事態宣言による要請について自粛を介する部分は、弾力的運用が可能という良い面もあるのかもしれない。
要請自体も自粛と同じで本人の判断によるらしいので、自粛と同類なのかもしれない。
要請が求めているのが自主的な判断であるなら、することとしないことのうち、しないことは自粛にあたる。
法的根拠のあるルール違反であれば、罰則がなくても違反は違反として悪いという法的な非難可能性が伴なうことになるのかもしれない。
ただ、要請がお願いの類であるとすると、お願いに罰則を設けると命令と同じになってしまい、おかしなことになるし、本人の判断によるのであれば、ルール違反ということにはならないのだろう。
取り締まる側も、お願いのレベルで国民に不利益な対応をすべきではないことになる。
ただ、自粛も要請もは、杓子定規な規制を回避できる面があるのかもしれない。
指示も微妙だが、命令ではないという観点からは、赤信号とは言えないのかもしれない。
強制力を控えるほうが、自由意思を尊重する余地を残しているのかもしれない。
ただ、ナッジというのは痛みを感じさせないものかもしれないから、それとも多少異なるのかもしれない。
いろいろと修正していたら、まとまりがなくなってしまった。
政府や自治体が身の危険を教えてくれていると捉えるのが良いと思われ、他者への思いやりも必要となる。