個人の自由を尊重し、消費経済で成り立っている社会では、個人の自覚で浪費を無くして、将来の他者への思いやりを実現するというのは難しい。
自分が生きている将来で他者を支えるためには、将来の自分への配慮も大切かもしれないが、自分優先ばかりで良いわけではない。
個人だけで 人生の収支や見込みを 厳密に 合理的に 勘案しておかなければならないとすれば、人助けは愚かなことになってしまう。
それが自己責任論の姿である。
それは、自己犠牲で人助けをする人の善意に ただ乗りする社会であるのかもしれない。
しかし、助けもせず、助けられもせずで良いと思う人は少ないだろう。
思いやりの心を基に、社会的な知性により制度・枠組みを設けて、未来に繋いでいく必要がある。