大学の学費を一律では減額しない話は、高級おせちの中身が一般に期待されていたものと違った話と似ている面もあるかもしれない。
高額な支出への妬み嫉みに基づく意見もあるのだろうが、教育の機会が平等でなければならないことは言うまでもない。
相手に利他心を説いて解決することには違和感がある。
建学の精神の解釈を示して対処するのでは、宗教教義の解釈で運営内容を決めるのと同じようでもあるし、運営の都合のために建学の精神を利用しているようでもある。
学位取得のために費用を支払うという考え方もあるが、充実した学びの機会を整えることは大学の責務であろう。
学位と学費を対価関係のように捉えると、高級おせちと同じになってしまうのではなかろうか。
災禍の中、オンライン授業でできる限りの対応をしていれば、法的にはやむをえないということになるのかもしれないが、それ以外の負の部分を学生側の受忍だけで済ませるのでは、思いやりから外れるのではなかろうか。
大学側に特別な支出が生じた場合に、お願いや話し合いや外部からの協力を模索する必要があるとしても、上から目線の説明になれば、権力的・権威的とも映ってしまうだろう。
困窮した学生を救うようにしているらしいので、大学側に利他心があるのは確かだろうが、運営上の理由や対処から、運営者側の都合や利己心を割り引く必要はあるだろう。
情けは人の為ならずということで、大学の姿勢は、今後選ばれるかどうか、国際的な評価にもつながるものだろう。
大学側・学生側・外部・公の「優しさを主とし、知的・客観的に確かな思いやりの心」で解決されることを願う。
経済対策がなされても、高等教育は自己責任というのではおかしい。