「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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重傷者数のカウントに関するICUの扱いについては、感染状況を把握する面と 医療体制の余力を把握する面とで違いがあるだろう。

 

 

( 重症かどうかの判断自体が、評価によって違いがあるのかもしれないが )  重傷でない患者がICUに入っている場合があるのであれば、内訳を示して重傷者数をカウントするというのが良いのだろう。

 

 

病床の余力として、コロナ以外の治療ができるかどうかということも重要なはずので、重症者数のカウントというよりは、ECMO・人工呼吸器・ICUの余力が、個別に把握できている必要があると思われる。

 

 

緊急事態宣言発出の判断基準として、医療体制の逼迫に着目されてきたと思われ、要の部分での逼迫があれば当然に、体制の逼迫と捉える必要がある。

 

 

医療従事者は要であり、対応できる病床・設備でなければ意味がない。

 

 

人を救うためといっても、避けられない病気などから人の命や健康を守ることを超えて、あえて経済を回すことによる負担増加分まで負わせ、医療従事者に負担を強い続けるのは間違いだ。

 

 

観光やサービスを楽しむことを、医療労働に支えさせるのでは、身分制度のようになってしまう。

 

 

酷い状況になってから 逼迫と認定されて 何か対処がなされるのか、あるいは崩壊状態に陥っても、致し方なかったと物事が粛々と進められていくのかと、政府は多くの国民から疑念を持たれているのではないだろうか。 

 

 

 

個別に制限を掛けて、観光などで経済を回そうとする考え方は、人々の粛気、消費マインドなどのマインド、人々の心理が 埒外で、医療従事者への過大な負担の継続についても埒外であり、政策の設計思想に誤りがあると言えよう。

 

 

 

 マスクは、各自の直接的な予防というより、他の人に感染させないということを 皆で行なうことによって、間接的に各自の感染防止につなげるという面が大きいのだろう。

 

自分の安全を 他者に委ねる 社会システム・公共システム なのかもしれない。

 

そういう面では、マスクを着用できるにもかかわらず、しない・外すということには、負担できることを免れて 恩恵だけ受けるという フリーライド の問題が発生していることになる。

 

外出自粛などにも同じ面がある。

 

集団社会を保つため、人間はフリーライドに厳しくなるらしい。

 

自主性だけでは成り立たないことも多いだろうし、行き過ぎでも良くないのだろう。