「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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後から思いつくことも多いし、客観的に読んで文章を修正するために、一週間くらい寝かせたほうが、自分の出来としては良くなるが、ブログへのスタンスとしては、

 

自分の能力×70% 程度以上なら良し

 

としているといった感じかもしれない。

 

 

客観的には、読み手の評価基準からの、私の能力への掛け目もありえるし、70%の判断や全体としての評価にも違いが生じるはずだが、収入や社会的評価を得る目的で書いているわけではないので、他との比較を気にすると意義が違ってしまうだろう。

 

読み手への誠意や配慮も大切だが、書くのも読むのも強制ではないし、100%を目指して表現しにくくなる状況やこだわり過ぎを避けている。

 

載せてからも色々と修正することになっているのが現状である。

 

何度も修正してきりがないこともあれば、少し気になっても直しづらいのでそのままになったり、読み返さなくそのままというのもありそうだ。

 

注目されるブログであれば、問題がある内容になってしまって 指摘を受けたりすると、謝罪を伴なった訂正が必要になったりするのだろう。

 

緩くし過ぎて、不適切な内容や表現にならないようにと心掛けてはいるが、ブログを始めるまでは気づかなかったような 委縮効果を感じる部分もある。 

 

 

全体の文章構成を整えるのは大変で、箇条書き的に書いたりするが、フレーズ的に何か思い浮かんで一文にまとめることにさえ頭が疲れてしまって進まないこともある。

 

流れが悪かったリ、文の据わりが悪い感じでも、疲れて、まあいいかということもある。

 

疲れると、今、自分が書いた内容でさえ、理解しずらくなって、修正できない状態になってしまう。 

 

能力的に無理な負担は適当なところで諦めて、とりあえず器に入れることを意識している感じもある。

 

です・ます調より、である調のほうが楽で そうしたが、読み手がすっきりと読める面もあるだろう。

 

内容的に矛盾するのは問題だが、複数の論旨が混在するようなことは、もしかすると読み手の理解力次第で 読解できるのかもしれない。

 

わざとそのようにはしていないが、混ぜご飯・炊き込みご飯・ワンプレート・ロコモコ・アラモード的になっている可能性も否定できない。

 

協奏曲? 

 

意識的に 交響曲 にする能力は無さそうだ。 

 

輪唱 や 時間差攻撃、Cクイック、バックアタック まで 有りうるが 、すべて結果的なものだ。 

 

結晶ということにしておこう。

 

 

 

70%の数値で思い出したが、小学生の時に分からなかった算数が、大人になってから改めて考えてみて分かるということもあるようだ。

 

70%での値から100%の値を求めるときに、数値を0.7で割るというのは、数値を7等分したうえで、その値を10倍することによって、元になっている100%の値を算出するということなのだろう。

 

0.7で割るというのは、10分の7 で割るということであり、10分の7 で割るというのは、その逆数である 7分の10 を掛ける計算で、それは、7等分した値を10倍にするという内容を表しているのだろう。

 

 

大人になった後で理解できたこととしては他に、つるかめ算の解説などもある。

 

小学生の時には先生に聞いても理解できなかったが、中学で習う方程式を使えば簡単だから、分からなくても大丈夫という話になって、頭の片隅に引っ掛かったまま終わった感じだった。 

 

頭の良い子には簡単だったのかもしれないし、子どもの時に理解できていたら良かったのかもしれないが、大人になってから理解できたことには、どこか余裕のある嬉しさがあったかもしれない。

 

問題を作ったり、解く方法を考え付いた人は、数学的な頭脳が すごそうなので 、つるかめ算が出来上がった歴史について知りたい感じがしてきた。