「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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思いやりのあり方は、一様ではない。

 

愛にあふれていたり、共感・同感が十分にできるレベルは もちろんのこと、全く共感・同感できない場合でも、思いやりはありえる。

 

基底的にはどこかに優しさがあると思うが、知性優位ということもあるだろう。

 

共感性だけでは、えこひいきになったりする場合もあるので、第三者や他のこととの関係での公正さなどについて考える 知性・客観性は重要である。

 

 

他の道徳基準と重なる部分もあれば、通常のその基準では認められても思いやりに反する場合や、通常のその基準では認められなくても思いやりから認めるという場合もありえる。

 

公正さや権利・義務に関してもそうであるし、宗教上の戒律や他の思想上の価値基準に関しても同じだ。

 

状況によって判断が異なるということは、他の基準での当てはめにもあり、論理的整合性と具体的妥当性といったことは、どのような基準でも問題となる。

 

思いやりについて、知性・客観性を意識すれば、恣意性は問題とならなくなると思われる。

 

それぞれの基準による場合に、優しさを主とし 知的・客観的に確かな 思いやりという観点から判断するのが良い。