「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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井の中の蛙として、大海 (その存在の可能性も含めて) を知った後は、どうすれば良いのだろうか。

 

大海は塩水で、カエルの自分にはそのまま大海で泳ぐ能力がない。

 

努力し続けることができれば それでも良いが、撤退を考えなければ生きていけないことも多い。

 

 

努力は、その向けられた先での成功は必ずしも約束されないが、他のことで何かしら活きるようだ。

 

それが、宝くじの末等的なレベルの 一回的な価値に過ぎなければ 虚しいが、そのようなものではないだろう。

 

努力という自己投資に対する 直接的な見返りを得ることができなくても、知識・経験として 資産的に身につく面がある。

 

 

生活に関わることだと、早めの見切りも必要かもしれないので、努力したことがまるっきりの無駄にはならないという意識は、精力を投じた後で撤退しにくくなるバイアスを振り払う必要がある状況で役立つのかもしれない。

 

ただ、諦めれば良いのかどうか、悔いが残るかどうかは、悩みどころだ。

 

 

失敗・撤退したとしても、様々な思索や経験は、人生を豊かにする。

 

好きなこと・したいことを 楽しむだけなら、能力も (カエルでも) 、居場所も (井の中でも) 、関係なさそうだ。

 

迷惑にならなければ、個人的な楽しみで社会的効用を考える必要はないが、何かの役に立つ可能性も (実際に役立っている場合も) あるだろう。