利己的・利己主義ということの問題は、人類全般が利己的に行動するものだという話ではなく、公正かどうかという領域での問題である。
その人の自由として認められるべきことについて、利己的だと指摘するのであれば、それは 指摘したほうの誤りである。
一方で、立場や責任を顧みなかったり、不平等に拡張された自由を押し通そうとするのであれば、利己的だと指摘するほうが正しい。
( 以下に例を記している。ただ、上記は 主に別のことから考えた内容なのだが。)
結果的に虚偽の答弁になってしまったということであっても、個人的な権利を守ることより 公的な面で申し訳ないという気持ちが 強ければ、捜査機関の捜査や決定を待ってから説明をするということにはならないはずである。
( 捜査側の必要性だと、別な議論が必要になる。)
公職在職時のことについて、公的な必要性より 個人的な権利や主張を優先するのでは、在職中の姿勢も窺い知れる。
権力の行使・政策の実現について、主観的・利己的な問題を抱えた政権、虚偽について不公正さを気に掛けない政権であったとの見解を支える要素になる。
長期で傾向が一貫していて、変化が窺えさもできなければ、公正な立場から考える人が納得できる説明がなされるわけがないが、何らかの連鎖反応で世の中が変わらないものか。
交差点で歩行者が横断歩道を渡ろうとしても、歩行者を巻き込みそうになるにもかかわらず、歩行者を遮って通っていったり、せかすように接近する車が珍しくない。
わき道から、お構いなしに出てくる自転車もよくある。
止まって確認してからこぎ出さなければならないといった、本来自分が負担すべきことをせずに、他者を危険な状態にしたり、遮ったり。
自分の乗りやすさ優先で、右側通行 ( 逆走 ) をしたり。
それらをしても、何が悪いといった雰囲気だ。
利己的じゃろっ ?
今どきでも、マスクを外して歩行喫煙しておったり。
入り口付近に捨てられた たばこの吸い殻がいくつもあったり。
あれもこれも、利己的やんなぁ !?
利己的で済ましとったら あかんやろ。
禁止や義務も、呼び掛けだけで、取り締まり無しでは、利己的得な社会、迷惑している人が我慢するのを放置する社会だ。
人権保障・公正さ込みの公共性についての正しい理解が共有されて、強権・圧政にならず、程よい規制・運用がなされるよう模索される必要があるのかもしれない。
吐かれた たばこの煙の粒子に コロナウイルスが付着していることはないのか、煙を感じる空気中にウイルスが一緒に漂っていることはないのか、知りたい。 煙は、眼にも入る。
歩行喫煙が見過ごされるようなことをその場の不公正だけで済ませたとしても、感染症だと、その場のことだけでは済まず、目に見えずに広がっていくおそれがあり、ウイルスには通用しない、ウイルス側に優位性のあるスタンスだ。