協力を得て何かを行なう際に、弁当や食事の支給がなされたり、物や道具の配布があったり、慰労の金品が支給されたりすることがあると思うけど、そういうときに、生活が苦しい人だけに支給するということは、一般になされていないでしょ。
みんなで協力してやることで 負担がだいたい同じような場面で、待遇が平等でないと、連帯感などの面でマイナスで、ベストパフォーマンスは望みにくいと思うわよ。
再分配に関しては、そのような分とは別に、また、恒常的に配慮がなされるべきことだわね。
おねだりは親しい間柄のことで、余裕のある段階であれば、他の事情によって、聴いてもらえなかったりするわね。
すがるとなると厳しい状況になってきていて、受けとめる側に余力があれば、 受け入れるのが 助け合いということになりそうね。
いずれにしても、贈収賄かなんかと結び付いてもいけないので、公正さは必要よね。
助けを求めるのが悪いわけじゃないので、すがるというのも悪く捉えないほうがいいわ。
まず、自助から、ということだと、外出自粛・休業などについても、自助の視点からの判断にならざるをえなくなるのよ。
すがり、すがられる、おすがり宰相のほうがいいでしょ。
施政方針演説で、自助という言葉は使われなかったようなので、施政方針としては改めたということだわね。
後で また言い出したら反則よ。