施政方針演説について触れてみましょうか。
それとも、やめときましょうか。
やっぱり、触れちゃおうかしら。
でも、やめちゃ 。。。
人はなぜ遊びたくなるのか。
犬や猫やイルカも、なぜ遊びたくなるのか。
答えなさい。
この問い掛けも、遊びなの。
ごめんなさいね。
一人ひとりが力を最大限発揮し というくだりは、助け合える という部分の える=できるということに掛かっていればいいけど、互いに支え、助け合えることの前提として、一人ひとりが力を発揮せよという指示・命令や前提だと嫌ね。
自助にこだわってるのか、あるいは、整合性を保とうと忖度した官僚との合作か分らないですど。
発揮でき じゃないと認めないわ。
それに、過労死も心配でしょ。
政府には、環境を整えてもらわないと。
文化観光の核とか、文化資源とか、様々なイベントを実現させ、観光の起爆剤とします とかで、文化を観光と結び付け過ぎると、見せ物扱いになってしまうわ。
憲法について、そのあるべき姿を最終的に決めるのは という捉え方だと、既に国民が決めて制定されたものを、制約を受ける権力側から議論させようとしてるだけになるでしょ。
最終的ということはないと思うけど、現行憲法について、あるべき姿として最終的に国民が決めた内容ではない、あるいは、現行憲法があるべき姿にないというのでは、憲法尊重擁護義務に反するわよ。
あるべき姿ではない憲法 に基づいた地位から 語り掛けているのかしら。
信条について、国民の食い扶持をつくっていくのがお前の仕事だと言われたことに触れていたけど、その辺が コロナ対応より経済に傾いてしまう元にもなってるんだわね。
国民に負担をお願いする政策の必要性を国民に説明し 理解してもらわなければならない と述べられていることに関して、その政策内容に関わる政治哲学・信条が示されていないのよ。
そこで間違ってると、経済を回すためだからといって、おかしなことでも、 おかしなタイミングでも、してしまうの。
アベな義にすがらない、すがすがしい政治信条を示してほしいわ。
因みに、田中角栄は、政策を実現するための権力を得る部分で間違いを犯したんだと思うけど、優しさはあったんだと思うわね。
客観性や知性による判断や使い方の部分でも、誤りがあったわね。
ただ、そういう部分は人間としては仕方ないと思うの。
優しさが不十分だと、強制や罰など、政策を実施する段階で、辛辣で行き過ぎになるおそれがあり、そうなると 仕方ないでは済まないわ。
アベな義に すがらなくなったら きっと すがすがしくなって偉い首相は、官僚から恐れられているという話もあるけど、目元で、げばげばっぴーを思い出しちゃって、あまり実感が湧かないの。
なんだか、色々 ごめんなさいね。
21世紀に 怖ろしい権力が 世界に存在しているとは予想してなかったし。
優しさが大事よね。