「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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IOC は、開催都市の市民・国民より 政府や企業の意向を気に掛けているようなので、公共性より運営の順調さを第一にしているということが分かる。

 

理念は、様々な批判を免れるための隠れ蓑でしかないのであろうか。

 

公共性を最重視できなければ、商業主義に陥るのも当然である。

 

不平等が看過される中での 米国 資本主義的 少数 勝者の 拡張された 自由・恣意 に委ねられてしまっている運営は、中国が力を持てば入れ替わってもいくものだろう。

 

開催都市に好き勝手にされてしまっても困るが、IOC自体が公共性から逸脱しているのでは、GHQ を連想してしまうような力を持っている組織として、国際公共性の観点からのチェックが不可欠である。

 

 

五輪の理念に反した考え方を述べてしまった組織委員会 前会長を、新会長が個人的に尊敬するにしても、それは自分の心の内に留めておくべきことであって、就任時に公言してそれが通ってしまうのでは、そのことも、五輪運営の現状が、理念や公共性からは乖離していることを証明しているだろう。

 

調整力というものが、政治的な関係での親密さでしかないのであれば、政治的多数派の思惑で運営されることになり、公共性に反してしまうのは当たり前である。

 

現実的に進めなければならないからといって、政治的に偏ったままの現実主義では、公共的な現実主義とは違いが大きすぎる。 

 

選手が競技できる環境が整えられることを祈るが、新会長の姿勢は、公共性に背反しながらワンティームを求めるという、これまで同様の恣意的な路線のままであり、切り換えがなされない以上、ワンティームを装う路線でしかない。

 

 

元会長の責任も、政治的に相対化・軽減化がなされている。

 

また、復興五輪というのは、復興したことにされるという心配はないのだろうか。 

 

そして、悪夢の安倍自公政権が継承されているので、敵味仕分け姿勢の悪影響も続いていくのだろう。