回想していると、あまり良くないことも色々と思い出されてしまう。
全部書くのは無理だが、逃げずに向き合って書いてみる。
高校の卒業式でも覚えていることがひとつあった。
皆勤賞として、アルバムをもらった。
しっかりとした上質なものだったが、ありがたいとは思えなかったのが残念。
今だと、わざわざ用意してもらったことに感謝できる。
無遅刻だったが、担任の先生が出欠をとるタイミングが遅くて遅刻を免れたことがあって、そこの部分の違いで皆勤賞にならなかったクラスメートが、汚ねぇなぁと笑って言っていた。
しらけ世代というのが年齢的にどこを指しているのか分からないのだが、全校集会のときなどに、誰かの言動について、ブーイング的にシーと口々につぶやくというのが流行っていた。
友達に聞いたら、プシーだと言っていた。
ゲーム上で消す感じの音まね。
楽しいというよりは全体的に冷たい感じがして、高校の雰囲気は、あまりいい印象を持てなかった。
運動能力が劣っている子は、成績がトップレベルでもないと馬鹿にされる傾向があって、そういう子何人かについて、クラスの5,6人のグループが いじめ的な接し方をしていた。
私も積極的にやめさせることはしていないので、今で言う見て見ぬふりをしてしまったことになる。
中学で転校してきた子が高校で一緒のクラスになっていて、遠慮なしで空気を読めない感じがグループから嫌われて、彼が同じ中学ということで、私にも少し嫌な感じが向けられたこともあった。
中学でも高校でも、酷いあだ名で呼ばれていた子がいて、私はそのあだ名で呼ぶことはしなかったけれど、やめたほうがいいというようなことも言わなかったと思う。
小学生の時に、友達に4の字固めを掛けて、ギブアップしたら外そうと思ったら、我慢強い子で、ギブアップせず、掛けてる時間が長くなって、いじめ的な感じになってしまったことを自分で感じたことがあった。
一方で、年上の子や兄弟そろっていじめっこ的な子たちから からかわれたりしたこともある。
かばってくれた年上の子もいた。
亀をいじめはしなかったが、虫を踏みつけて殺してしまったことはある。
蛾の大きい幼虫を ( たぶん怖さと気持ち悪さによる嫌悪感から ) 踏みつけた後、たぶんその毒で皮膚炎になって、それは治ったが、命を奪ってしまったことは重く心に残っている。
その後も、ゴキブリは動きの速さが怖くて殺虫剤で殺しことは何度もある。
だいぶ前からは、部屋に入ってきた小さい羽虫や蚊などは、ペットボトルなどで捕まえて外に出したりしている。
今はあまりゴキブリは出ないが、稀に見掛けて、殺虫用の製品を設置したりもした。
肉や魚も食べるので、殺生と無縁に生きることはできていない。
人へのいじめの話の中で、虫に言及すると誤解を招くおそれもあるが、情けという面でつながりがある。
嫌悪感は、ヘイトと同義だろうし、人種差別につながる。
社会人になってから微妙だったことで、その人が立場が上でも、みんなから からかわれていて、私は からかいはしないけど、見下された態度に対して反感をもって接したりする状態が続いて、こちらがいじめているように見られた面もあったのかもしれないと思ったりもする。
認知症の人が犬を抱きかかえて近づいてきて、犬が吠えて、それをなだめながら近づいて来るということが度々あって、逃げたり避けたりしたことがある。
犬好きの人やコミュニケーション能力のある人は余裕をもって対処できたかもしれないが、できないので悪いことをした感じにもなった。
野球部の後輩は、先輩からの指示で説教されることになったことは知らなかっただろうし、こちらが先輩から受けた対応と比較して相当抑制されたものと捉えられるわけでもないと思うので、今ならパワハラということになるのだろう。
( 自分に都合良く考えていると思う人もいるかもしれないが )これまでの経験上思うのは、私のことを悪く言う人がいたとしたら、他の人にとっても あまりいい人とは言えない人なのではなかろうかということ。
優しさが欠けた人は、私のほうでも好きにはなれなくて、それがまた相手に伝わったりする面もある。
中学で酷いあだ名で呼ばれていた女子生徒がお母さんと一緒にいた時、その子は私を見て軽く笑みを浮かべていたけれど、お母さんの視線は少し厳しかったことを覚えている。
( 小学校が同じだったのに ) 行き過ぎた状況から救おうとしなかったことは、取返しがつかない。
まだ若いうちに亡くなったらしく、卒業後 幸せに過ごせたのか、祈ることしかできない。
学校でのいじめ的なことは、今だと 学校や先生が 適切にリード出来れば、話し合いを通じて救われる面も かなりあると思う。