ワクチン接種に関して、ウイルスとの闘いという面で戦争にたとえて、行政のトップが先に接種すべきであると考えるのは、勘違いに基づいた国家主義ではなかろうか。
有事であるとしても、問題になっているのは、疾病・健康であり、生命である。
上記の考え方だと、食料・物が不足したときに、臆面もなく権力側を優先したりすることなども正当化してしまうだろう。
国民の中で一緒に対処していて、自分たち優先でいいのか。
医療を受ける必要性や 医療 ( 介護にも同じ性質がある ) を行なう上での必要性とは異なっている。
救う側を優先しなければ 救えない という究極的な状況に行政側があるわけではない。
ワクチン供給の遅れは、政策判断の結果でもある。
また、ワクチン供給が十分で 滞りもない状況であれば、安全性の面で トップが接種して見せるのも自由だろうが、国家主義的見解を採るのであれば、逆にリスク管理上問題視される場合もあるのではなかろうか。
封建時代の君主とは違い、行政トップの職は代替可能である。
コロナ以外でもリスクはあり、自分たちを優先すること以外の方法で対処できないのであれば、危機管理上問題があるということになる。
そして、生命に対する国民の権利・生存権に関して、一般国民より権力側が優遇されるのでは、憲法違反ではないのか。
行政側の先取りは、公共の福祉に該当せず、「 最大の尊重 」に背くものであり、「 法の下の平等 」にも反するものだろう。
優先されていない人々でも、本来的な平等性の観点から、余ったワクチンについて、公正・適正な手続きによって接種を受けることは問題ないと思われるが、行政を担う側が有利になるやり方は 特権・利権になり、問題がある。