「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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ワクチン接種についての努力義務は、任意と解釈しなければ完全に違憲だろう。

 

企業や自治体などの活動に関する経過措置などとは違い、個人の尊厳に関わる。

 

公共の福祉を理由として内心の自由を制約できるという道を開いてしまえば、法律を設けることによって思想教育なども、努力義務として強制できることになってしまう。

 

 

新型コロナについて、当初から高齢者や基礎疾患のある人の死亡率が低かったなら、世界は通常のままだっただろう。

 

ワクチン接種でその部分をカバー ( 変異株込み ) することができれば良しとすべきで、全体の接種率などにこだわる必要はなく、各人の判断で接種すれば良いはずだ。

 

ワクチン証明書は、免疫力の違いによる差別であるし、不合理・不必要な制度でもある。

 

 

政府やテレビ局、その他、接種を薦めようとする人は、接種率を上げるために接種を呼び掛けるようなことはせずに、その人自身のためを誠実に考え、情報提供する必要がある。

 

変異株についてのリスクも、その人の事情や今後の状況を考慮すべきだ。

 

後遺症についても、新型だけに特有なものなのか、検討が必要だろう。

 

 

大切な人のためにというのは、その関係にある人は言われなくても十分考えていることなのであり、医療に関してのそのような推奨の仕方は、社会防衛に傾いた考えを美化・糊塗した表現なのではなかろうか。

 

大切な人自身がワクチン接種すれば安全度が高まるし、接種できない人の療養・医療は他の病気も含めて考慮されるものだろう。

 

( ミスを含め ) 100%安全とは言えないことの推奨について、( 公益目的であっても ) 断定的な表現をすべきでないことは、金融取引などと変わらないだろう。

 

任意性に十分配慮しなければ、責任を問われる性質のことではなかろうか。

 

また、社会のためにクチン接種を強いられるとすれば、同じ医療面として、臓器その他、生体組織を提供することを、社会のために強いられる可能性を否定できないと思われる。

 

 

重症化しやすい人や年代からの接種を優先すべきで、変異株に留意しながら、マスク着用も推奨しつつ、感染症のカテゴリーを変更して、通常の社会経済活動を差別なく平等に取り戻していく必要がある。

 

ウイルスの変異によって高齢者などの重症化が再び増加するようであれば、再接種や新たなワクチンの接種や治療薬を検討していくべきだろう。