人権保障は、各人が実際に接する日常の場面に行き渡っている必要がある。
唱えられているだけだったり、体裁が整えられているだけでは意味がない。
幼児にとっては親子関係がこの世の全てと言えるし、学校に通うようになれば、そこでの関係も重要になる。
さて、成人も職業関連の各場面で人権が尊重されていなければ、問題である。
企業が社員を守る必要があるからといって、社員の人権を管理するというのはおかしい。
身体の侵襲を伴なったり、身体の反応を変化させるような医療処置を、解雇と結びつけて実質的に強要・義務化するのは、人権侵害だろう。
職場を簡単に選択できるわけではない。
また、自由主義国で、正面切っての義務付けができないことには意味があるのであり、ワクチン接種をしないと生活に支障が生じるようにして、現実的に自由を毀損しながら体裁を維持しているように見せかけるのは、基本的人権や自由の価値に対する背信行為・裏切りである。
日常生活に必要な買い物を困難にしてしまうような措置は、非人道的である。
権力側・多数派側から罰を加えるものである。
企業による様々な支配を看過すべきではなく、法人の権利より、生身の人間の人権擁護が重要である。
大統領やCEOによる人間支配の正当化を許すべきではない。
ワクチン接種を絶対視し、マスクをしないで良いとする誤った政策もなされた。
自由主義・人権尊重が変態・変容して Americhina やFranchina などになってきたらしい。
自由主義を被り物にして、体裁を保っているに過ぎない。
羊頭狗肉、仮面自由主義だ。
ワクチンは、本人の重症化防止の効用は大きいが、ワクチンパスポートで行動をフリーにするにふさわしい効用まではないのだろう。
検査を導入するような場合には、皆同じ扱いが必要である。