「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

600

戦没者の遺骨に関しては、亡くなられた方が 静かに永眠できることが良いのではないかというのが、自分の想いである。

 

骸骨・ドクロ的に扱ってしまう人々に対しては、冥福を祈る気持ちへの理解を求めたり、規制することが、国際的に必要だ。

 

亡くなってすぐにご遺体・ご遺骨として遺族の元に還されるのが当然だとは思うが、日本の内戦で亡くなった人の遺骨を、後から掘り返したり引き上げて、弔い直すというようなことは普通は無かったろう。

 

DNA鑑定など、科学的・物理的に可能になったからといって、数十年を経た後で処置を行なうというようなことは、弔い・冥福・追悼といったことからは乖離しているように感じられてしまう。

 

ご遺族の想いからそうするのは良いだろうが、一般的に行なっていくことは、社会を構成している人々が入れ替わってしまっている点からも無理があるように思われる。

 

 

外国が費用を掛けているとしても、兵士確保の必要性の面も強いだろう。

 

そして、犠牲的精神が称賛されるようなことにつながると、犠牲を強いられる社会になってしまうおそれもある。

 

 

日本国憲法施行以前の、人権が軽視された様々な事柄の中で、遺骨だけに着目することもできない。

 

軍人に対する補償があった一方で、民間人の被害者に対する補償が置き去りにされたことは悲しい。