東京五輪2020 開催を 最終決定あるいは支持し、開催したことは良かったと手放しに肯定するのであれば、最低限、今後の様々な政策・イベントなどの影響によって、自分や大切な人が死亡するような犠牲を受け入れるのでなければ、公正ではない。
感動を与えてくれたというような理由は、自分たちが運良く生き残り、楽しめたから言えることで、犠牲者への思いやりに欠けてしまう。
日本の貢献を評価されて、それを嬉しく思えるのも、我が身が不運に見舞われなかったから、運に恵まれた立場にあるから、だ。
皆が平等にリスクを負わなければならない場合はあるとしても、遂行し終えた後、喜びや自画自賛より、犠牲者への哀悼の気持ちが優先されなければならない性質のことである。