原発に関して、安全性が確認され次第、再稼働するという考え方は、
テイルリスクを考慮していない点で問題があります。
安全神話への逆戻りです。
テイルリスクを考慮するには、事故が起きた場合の結果を、国民が負担できる、受け入れられることを前提にする必要があります。
周辺地域の合意があっても不十分です。
飛行機や自動車について、社会的には事故を受け容れたうえで利用されていると考えざるをえません。
銃規制だと国によって違いがあります。
宇宙ロケットの有人飛行は、安全性との関係で判断されると思われますが、
被害の範囲は原発とは違いがあります。
たとえば、 人類にとって莫大な利益となる選択肢が示されたとしても、人類が滅亡する可能性が少しでもあれば、採用すべきではありません。
日本での原発事故は、多くの国民にとって受け入れ難いものであると認識されています。
核廃棄物処理の目途が立っていないのに原発を推進するのでは、科学者の倫理も問われます。
先が定まっていないのに進める政策は、通常では考えられない国政・国策です。
無害化できる技術が確立されていない段階では、人類はまだ使ってはいけないものです。
エネルギーが不足するという主張は、資本主義的欲望に根差している部分が大きく、抑制も必要です。
推進する側は、利益の追求が合理的・理性的であると捉えているように思われますが、
欲求に根差したものが理性的とは解されません。
欲望の範囲内での合理性ではバイアスも掛かります。
電源の選択肢として、使ってはいけない技術を含めるのは間違いです。