「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

とりとめもなく・8

 

ー裁判員制度についてー

 

統治機構の中で制度的に憲法に抵触しないとしても、強制することは人権保障の体系に照らし合わせて、違憲であると考えます。

 

人権を擁護する立場の司法が、人権への配慮が欠けてしまっているのは問題です。

職業選択の自由について、裁判員は職業ではないと捉えられているようですが、裁判官が職業選択の自由に基づいて職を担っているその一端を任されるわけで、短期間の仕事となんら変わりありません。選択の自由は、特定の何かを選択しない自由と一体になっています。強制すれば、強制労働と考えるのが自然です。

 意に反する苦役という点では、苦役は肉体労働だけではないと考えられます。

普段、力仕事で5~60kgの物を扱っている人が、2~30kgの仕事を命じられても楽な作業ですが、デスクワークをしている人にとっては、苦役になりえます。

精神作業として、死刑制度に賛成している人にとっては苦役でなくても、死刑制度に反対する人にとっては苦役になりえます。

人を裁きたくないと考える人にとっても同様ですし、思想信条に反することを強要されることでもあります。

他にやりようがあるはずなので、公共の福祉として職責を強要するのは人権侵害と解すべきです。

 

裁判員制度はいわば徴用制になっていると思われますので、その誤りを正さないと、自衛隊にも援用できる道をひらいてしまっているのではないでしょうか。

自衛隊が軍隊でないとすると、徴兵ではなく、自衛官(の職責の一端)に徴用されることが国民の義務とされることもありえることになるのではないでしょうか。

裁判員が強制なら、自衛員(防衛員)・~員、…と改憲なしで強制される可能性はないのでしょうか。

徴用制や自衛(防衛)員制度は合憲だと多くの国民が思っているといる、と政治家が言う時代が来るのでしょうか。

自衛(防衛)員として自分が海外に行くことを受け容れられなければ、現状の安保法制や裁判員制度を肯定するのはおかしいことになります。

 

憲法上、思想及び良心の自由は、個人の尊厳としてとても重要なことは言うまでもありません。

 やっても良いという人だけでは成り立たないのであれば、廃止すべきです。

人民裁判、人民法廷に傾くのも困ります。市民感覚は立法府を通じて反映させるのが筋です。立法府の対応が遅れたり、不十分だと司法へ不満が向く面もあるかもしれません。

良い経験になったというのは、何かしら経験すれば大抵良い経験にはなりますし、逆にトラウマになる可能性があるのでは存続理由になりえません。

また、裁判や司法についての国民の理解は別の問題で、裁判員制度の中で国民に学ばせるのでは意図がそれており、裁判官が市民感覚を取り入れる研鑽を積み重ねる必要があります。模擬裁判で市民に参加してもらい、市民感覚に寄せる余地を探るなどのほうが良いかもしれません。

国民が直接参加するのは、司法より立法や行政のほうが良いくらいな感じもします。

 

裁判員制度で量刑に変化があったという見方がありますが、量刑の変化は、被害者参加制度の影響が大きいのではないかとも思われます。

身内の介護に関する殺人だと、遺族が加害者と被害者側一体になって、仕方なかったと厳罰よりも情状酌量に傾くことが推測されます。それが被害者自身の気持ちにも沿うことが多いかもしれませんが、必ずそうとは限らないでしょう。介護を受ける人の人権が低く扱われてしまうようであれば問題でもあります。

被害者参加制度その他で市民感覚がカバーされない部分があるのなら、それをはっきりさせた上で別の対処を考えるべきだと思います。

 

司法は法律学をよりどころとしていて、その知見によるべきなので、多数決原理の民意を直接反映させるべきではないと考えます。

そればかりか、制度を維持することに民意がない、国民の意思に反しているように思われます。十年間実施して国民の多数の支持を得られていないのであれば、猶予もおかしいでしょう。

 

国民の利益になるのは、付け焼き刃の素人判断で直接判決に関わることではなく、最高裁や行政府・立法府を含めて司法判断・法律判断において、法律学上の知見から逸脱していないかチェックできる仕組みだと思います。

学術を無視した解釈・運用に委ねるのではなく、学術的判断を当然の前提として、選挙を通じて是正していくことが大切です。

市民感覚は法律学上で反映されるべきであり、それは可能でしょう。

仮に法律学上の多数見解が裁判員制度が良いということであったとしても、それを踏まえた上、国民の意思で制度を廃止することはできますし、市民感覚が反映されて多数見解が入れ替わるということもあるでしょう。

また、報道機関が、司法行政と一体となってしまって、制度の”存続”に関して、チェック機能の役割を十分に果たしていないように思われます。

裁判員制度を存続するべきか廃止するべきかという世論調査は行われているのでしょうか。結果が示されているのでしょうか。

不自然に肯定的な分析や、肯定的事実の適示ばかりがなされているようであれば、検証になっておらず、問題です。

事実が適切に示されなければ、統計不正と同じで、学問上の判断も歪められます。