一票の価値の絶対的な平等は、単純な計算上では正しくとも、形式的な平等を貫くと、むしろ公正さに欠けてしまうと考えられます。
居住・移転の自由との関係では、各自が選択した結果の集計によって区割りなどを適時に変更し続けることには無理があると思われます。
一票の価値の平等については、リベラリズムに基づく人権擁護の観点から発したとしても、実質的な公正さから外れてしまうと、リバタリアニズムになってしまいます。
生まれた場所の人口の多寡で票の価値が違ってしまうのは不平等ですが、それを重視するのであれば、移転の自由という権利を行使する道が開かれています。
損得だけでは移転の判断ができない部分もありますが、各自の地域から代表が出ないことは、より問題が大きいと思われます。
身近な多数決で一票の価値が違うと問題ですが、 地域性を考慮する必要がある場合などには、同じに考えることはできません。
たとえば、国連総会のような場で、国ごとの代表より、厳密な人数計算に基づいた代表のほうがが良いとは言えないでしょう。
日本の代表が、韓国や北朝鮮から出ていれば良いと思う人は少ないでしょう。
地域性と切り離した人数計算だけでの形式的平等では、公正とは言えません。
人口過密都市と過疎地は、多数派と少数派の関係でもあります。
票の重みが社会的な強者と弱者の関係と結び付くのであれば問題ですが、そうでない場合に計算上の完全な平等にこだわると他の不平等を看過することにもなります。
議員が全国民を代表するということが完全になされるのであれば、単純計算だけ済むのかもしれませんが、人々の暮らしから地域制を除いて代表を出して政治を行なうことが意味を成すとは考えられません。
もっとも、一票の価値の形式的な平等を貫くべきではないとしても、国会が怠けて良いわけではなく、国民が納得できる公正な代表システムを設ける必要があります。
地域の代表と人数割りの代表とに分けた選出やそのバランスなどについて、頭の良い方に検討していただきたいと思います。