相撲で、張り差しを多用するとすれば、それは効果があるからだろう。
効果としては、相手が多少なりとも脳震盪を起こすからではないのかと疑問に思われる。
方向を変えるようなことにはなっていないし、ぶつかる勢いをそぐだけなら、手で押さえてから当たれば良い。
相撲で頭からぶつかっていくのは、相手に脳震盪を起こさせることを目的としたものではないだろう。
低い姿勢の相手を起こすのではない、肘打ちのようなかちあげは多少控えられるようになったのかもしれないが、脳震盪を起こさせることを意図した打撃技は、相撲の伝統にふさわしくないと考える。
脇が空くから対処できるという見解は、打撃による脳震盪を看過している。
まわしを取らせないようにして相手に力を出させないというのは相撲の内に入るだろうが、脳震盪を起こさせて力を出させないようにするのは、相撲ではない。
地位の差によって暗黙の制限が掛かる技があるとすれば、フェアでもない。
勝ち星や優勝回数を積み増しても、割り引いて考えなければフェアでなくなり、相撲の強さも比べることができない。
大相撲は、日本の伝統的な相撲とは少し違う催しなのかもしれない。
横綱の品格が問題となった頃から、あまり観たいとは思わなくなってしまったが、大相撲の人気が高ければ、関係者やファンは良いのだろう。
張り手や突っ張りを、嘗底のような打撃技として (のような効果を狙って) 使うと、相撲ではなくなるので、反則と捉える必要がある。
規則の確認や見直しが必要である。
関係者が首をかしげながら適切に対処できていないのは、感覚的にはおかしいと分かっていても、上記のような相撲についての理解が、必ずしも明瞭にはなされていないからだろう。
嘗底や前腕による打撃だけを使って打ち合いをすれば相撲ではなくなるのであれば、一回なら良いというのはおかしい。
張り手の使われ方がおかしいのなら、張り手自体を禁止する必要が出てくる。
道を究めようとしても、正しさを十分に意識しないと道から外れてしまう。
相撲を相撲でなくしてしまうのでは、恩を仇で返していることになる。