安保条約と平和主義のどちらが平和を守ってきたのかというのは、現実にはどちらも存在していたので、強弁の域に留まる。
どちらかが無かった場合、違う現実・事実が積み重なっていたはずである。
アメリカ兵が、リスクの観点で日本に派兵されたいと思う (思ってきた) のかは知らない。
リスクは、主に紛争状態や仮想敵国によるだろうが、日本が専守防衛でなければ、リスクはより高い (高かった) はずである。
自国の思惑以外で戦闘状態に陥る可能性がある。
日本に負担をしてもらいたいとうのは、兵士が犠牲となるリスク低減のためではなく、費用の節約である。
日本国憲法第九条が間接的に米兵の安全度を高めていることも理解がなされる必要がある。
平和主義による効用・貢献の一つである。
国力が伴なわなくなってなお海外展開を続けるかどうかは、アメリカ自身の問題である。
安全保障を特定の国に委ねて、覇権主義の応援をするというのでは、独立国と言えない。
手薄になって兵士の犠牲のリスクが高まるほどの資金不足であれば、手を引くのであろう。
実力が落ちた分の肩代わりをして、同盟関係を維持するために平和主義を後退させるのは、安全保障にマイナスであるし、国際貢献としてもマイナスである。
近隣諸国と信頼関係を築くことができなければ、軍事力に頼ることになり、猜疑心のスパイラルに陥る。