飼い猫が亡くなって、精神的に苦しく、過呼吸になりそうなのを意識的に抑える感じになった。
パンデミックによる医療崩壊のように、急激な精神的負担により精神崩壊をきたしそうな不安も感じてしまった。
精神的な苦しさにも内訳がありそうなのだが、割合ははっきりしない。
一緒に過ごしたパートナーがいなくなり、もう会えないという寂しさや悲しさもあるが、亡くなるまでの辛そうな様子から救ってあげられなかった悲しさが大きいような気もする。
ピーク・エンドの法則のエンドの辛い印象が大きく残ってしまい、どうしようも無くなってしまったようなのだが、捉え方の誤りに気づいた。
ピーク・エンドの法則は多分正しいと思われるが、印象任せにする必要は無く、ディレクターとして、再評価・再構築が可能であることに気づくことができた。
死は必ず訪れるものであるし、それに至る前の辛さもやむをえないことであり、辛さの程度が大きかったり、数時間・数日・数年と長期にわたったとしても、それより前の幸せは確かにあったのである。
せっかく幸せにしてくれたのに、悲しい記憶でくくってしまうのでは、申し訳なく絶対に避ける必要がある。
それが、亡くなった子に対する知的な優しさや思いやりであると思う。
犬や猫が好きでも、死ぬとかわいそうなので飼えないという人は、上述の如く捉え直すことができれば、保護された犬猫をもらい受けることで、幸せに暮らせる。
悲しみのために思い出に蓋をしてしまえば、楽しかったことを思い出すことも無くなり、幸せを失ってしまう。
ねこへの思いを失わなければ、一緒に生きられるのである。
幸せに気づいたので、もう (あまり? ) 泣く必要は無い。
寂しさはあるが、ねこも幸せに暮らせたと思えるし、私も幸せをもらい、感謝する。
本当にありがとう。
今も幸せは続いているのだ。
上の立場に立ってアドバイスするわけではなく、ブログでは(役に立てればとは思いながらも)意見・提案・思いを好きに記している。
辛い部分の印象に負けず、正当に評価し、幸せを強く確信することで救われたが、それに気づく前に、猫の居場所や寝床などにぬいぐるみを置いたら、そこにいる雰囲気がして気持ちが和らいだ。
雰囲気が似たぬいぐるみを買っていたので、役立った。
猫と暮らしていても、ずっと見つめているわけではなく、多くの時間は周辺視野で何となく感じられる中で、自分の用をしていることが多い。
一日の中で何度か寄ってきて撫でてくれと求められたりした。
飼い猫のおなかや胸の辺りに顔をうずめるのは至福の時であった。
他に飼い猫がいなければ、ぬいぐるみを撫でたり抱いたりすることも癒しになるようだ。
自分の体を撫でるのでもいいらしい。
寝るときに寄ってきて、しばらくしてまた自分の寝床に戻ったり、夜中にまた来たりしていた。
寝るときにぬいぐるみが役に立つ面もあるが、夜中に目覚めて本物と違うと精神的に苦しくなる面もあるかもしれない。
自分が死ぬ間際の苦しい時に、幸せを意識できるかどうかは分からない。
苦しんでも最期の最後には、脳の血流量の不足のためかでお花畑が見えるような感じを望むが、どうなるかは分からない。
天国を確信している人や、物質的に消滅すれば苦しみも消滅すると確信している人は、猫の死でも人の死でも、寂しい思いをしているのではないかとか、苦しいのに救ってあげられず今どうしているのかと、思い悩まないで済むのかもしれない。
前に亡くなった猫と佇まいなど雰囲気が似ているぬいぐるみを近くの店で見つけた時は、近くに戻ってきて迷っているのを見つけたような感じがした。
生前、外に連れ出した時に車の音に驚いて、バッグの中から飛び出して逃げてしまったことがあった。
室内飼いのため、帰る場所が分からなかったはずで、三日目に近所で隠れているのを見つけて連れ帰ったことがあった。
痩せて衰弱していた。
体を洗ってドライヤーで乾かしたりしたため、自分で体を普段より入念に舐めていた。そのため、毛玉がつまってしまって栄養を吸収できなかったのか、衰弱が進行してしまい、危なかったように思われた。
魂などは、心の中の記憶や感覚が外界に投影されたうえで感じ取られるのかもしれない。
今も一緒に過ごしていると思うのも自由だろう。
見つめたときに魂を感じられるぬいぐるみであれば、一緒に寝ても違和感がなく、安らげるようだ。
ねこと寝るときは、押しつぶしてしまわないように気を使うと思うので、抱き枕のように扱うわけではないだろう。
先に亡くなったねこは、もらい受けた時に目が合ったときから、亡くなるまで100%信頼してくれた。
( 会うまでに世話をして下さったボランティア団体の方のお陰だろう。)
今回亡くなったねこは、近所で十匹くらい放たれて野良猫化しつつあったのをもらい受けた。
一番痩せていて、冬を越せるのか心配になり、その子だけにフードを少しあげようとすると、鳴いて喜ぶので他の猫も集まってきてしまい、困ったりした。
ドアの前まで訪ねて来 (てくれ?) た。
他の猫は飼い主の家族に引き取られたらしい。
もらい受けてしばらくはベッドの下に常時隠れていて、静まったときに出て来て飲食していた。
もらい受ける前に検査入院して、閉じ込められた感じがしたのか随分鳴いたらしい。
風呂場で洗おうとして、怖がらせてしまったかもしれない。
先にいた子がほかの子を受け入れられないねこで、双方にストレスを掛けてしまった。
訪ねて来てくれたわりには年月が掛かりながら、信頼関係が出来上がったように思う。
信頼関係ができていれば、火葬された後、戻ってきてくれたように感じられるかもしれない。
亡くなった時点で、こちらを頼って、一体化したようにも思えるかもしれない。
そのように感じられなければ、猫の神様の下か親兄弟がいる所に行ったはずだ。
単独で過ごしていたとしても、飢えて死んでしまうわけではないので、大丈夫だ。
虹の橋の話も信じたい。
猫を飼うときは、 猫の様子が 少し変わった場合は、血液検査をしたほうが良い。
高齢になってきたら、定期検査が良いかもしれない。
早期発見で対処できることも多いだろうし、食事療法もある。
前に亡くなったねこに、ワクチン接種を勧められて、してもらったことがあったが、体調が少し悪くなった。
室内飼いではワクチン接種より、必要に応じて血液検査をするのが良いように思われる。
病院に連れて行くことが多少猫のストレスになったりする場合もあるが、体調が明らかにおかしくなる前に検査は必要だと思う。