誰かだけが薬を手にするアベのみクス[薬、薬師(くすし)のくす]状態にはなっていないようだ。
ただ、アベノポリティクスは、究極的にはアベのみクス(リ)と笑うことになるリスクがある (アベノリスクのある) 政治だろう。
~ノミクスリの政治が継承されていくリスクもありそうだ。
少し苦しいもじりでも継続中だが、風刺は問題を端的に浮き彫りにして意識化できるようだ。
言論内容の要約を、レッテル貼りと考えるのは的外れである。
官僚が忖度して、アベのみクスっ
検察も忖度させれば、アベのみクスリ安泰
薬物依存になってしまった人がクスリをくれる人の言いなりになってしまったりするように、人事権には薬物のような作用があるのだろう。
党内も勿論アベのみクスっ
ありがた過ぎて、アベノ御(ミ)クス(リ)
人事権掌握へのこだわりや強引な採決も、権力病理だろう。
官僚が指示に従わないのは困るが、指示できることが不適切な場合があるということの意識が欠けた権力も恐ろしい。
独立性が求められるといっても行政官だとして、同じ影響力が及ぶようにするのでは、公正さが害されるのが当たり前だろう。
アベノポリティクス・アベノミクスリ政権・アベノリスク政権の問題点の多くは、公共性の理解の間違いに起因しているように思われる。
平等な人々の公共には、公正さが必要であり、公正であるためには、独立性や中立性が必要になるのだろう。
ただ、独立・中立だけで公正さが保たれるわけではなく、弱者への配慮なども含めた公正さの意識やその制度的担保は重要である。
それが、多数派からだけの政治介入でないことは明らかである。
刑罰についても、為政者が特権的でありえる制度・運用があってはならない。
国であっても、公共性・公正さから外れないように努めることが必要である。
公共性・公正さのルールは、平等な社会での普遍性という点で、法や制度の解釈・適用・運用についての基礎であり、上位概念ということなのだろう。
公共性に反するおそれのある権限が謙抑的に捉えられてきたことは正当であり、上位概念に反して権限を行使しようとするのは濫用であり、公共性・公正さに対する挑戦であろう。
公共性・公正さのルールを無視した政治姿勢は、平等な民主制に反する特権者としての振舞いということになる。
国民が権力を統制していると思っても、権力が抑制される必要のある部門の官僚が統制されることにより、いつのまにか国民が統制されることにもなる。
花愛でる集い 令(うるわ)し 吾(あ)の御薬(みくす)
注 ー 情景的には、薬玉(くすだま)。
なんやらノミクスとともに、想像上の人物の想像を勝手に想像した川柳。
または、御薬の恩恵を受けた人の歌を想像したもの。
私が受けた恩恵は、桜の花のように令しい。
恩恵を受けた人々が和して集うことも令しい。