「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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ウイルスとの共生で直接問題になるのは、むしろ人間どうしの共生かもしれない。

 

自粛の強要のような行き過ぎに問題がある一方で、現状ではマスク無しでの会話が良くないとすれば、その場面に居合わせた場合には我慢を強いられたりすることになる。

 

自分はしっかりとマナーを守り、公共的な求めに協力しつつ、守らない人に寛容になれる人はどれくらいいるのだろうか。

 

マナーを守る人は、守らない人を責めたくなるし、マナーを守らない人に寛容な人は、自身もマナーを守らずに他の人に迷惑を掛けている可能性もある。

 

外国から来た人の習慣の違いなどは教えてあげるということもありえるが、日本人どうしでの現状の感染症対策関連では注意にしかならないので難しい。

 

コビッド19が収束に向かう過程やその後でも、人によって意識の違いがあるので、精神的な軋轢が以前より大きくなるようにも思われるが、様々なことでの意識の違いの一つに過ぎないと考えたほうが良いのかもしれない。

 

個別の場面でも不正は良くないが、自分の考える正しさを他者に求め合うというのは争いであろうし、一方的に求めることができる状況が正しいとは言えない場合もある。

 

感染の確率が低く、政府の補償が不十分といった状況では、正しさも分からない。

 

感染者数の増減に合わせて、正しさを音量調節のように簡単に調節することは難しい。

 

 

優しさを持てれば良いが、正しさが勝って優しさを持てない場合でも結局は折り合いをつけて生活していかなければならない。

 

適当に折り合いをつけさえすれば生きていけると、気楽に考えたほうが良いのかもしれない。

 

その場合の結果的な外観上の優しさや寛容さでも、社会生活上は有りなのだろう。

 

心に余裕ができて、優しさを持つことができるかもしれない。