「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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もらったマスクのノーズワイヤーの効きが良くなくて、隙間が気になった。

 

対処として、ワイヤー部分を横一線で顔側に折り込み、ワイヤー部分を下に残したまま、端の部分をまた横一線で逆に折り上げてから鼻に合わせたら、少し良くなった。

( 山折りと谷折り )

 

 

 

新しい生活様式は、それに合わせない人がいると心理的不協和音を感じてしまいそうだ。

 

感染症対策だと、通常のマナーよりも強い。

 

法律上の義務と一般的なマナーの間にありそうだし、現状は法律に基づく要請よりは弱いのかもしれない。

 

マスク着用も、当面だけなのか、ワクチンが普及するまでなのか、その後も続くのか、意識がどの程度で推移するのか、よく分からない。

 

 根無し草的漂流感もありそうだ。

 

テレビ番組の出演者の映像と日常との乖離もある。

 

 大臣などの会見でマスクが着用されていないと気になったりする。

 

マスクを外していることに正当性があるのなら、字幕で表示しておくほうが良さそうでもある。

 

 

マスク着用等が義務化されても、日常生活の中でもめる余地はあるのかもしれないが、国として求めるのなら、必要なことは義務化して、協力する人を支えたほうが良いのかもしれない。

 

ただ、権力も、間違ったり行き過ぎたりするので、慎重さや歯止めのシステムも必要そうだ。

一般人の行き過ぎもある。

 

 

体育の授業での中国の死亡例は、高性能マスクによるらしいが、そのことを受けて、通常のマスクでも着用しないほうに傾くのもどうなのかと思ったりする。

 

息苦しさは、少し隙間を開けたり、鼻だけ出したりと調節すれば良さそうにも思える。

 

マスク着用が一般的に必要だという前提であれば、着用しながら熱中症対策も工夫する必要があるように思われる。

 

自分の捉え方が違っても、何の権限もない人間としては気疲れするだけなので、気になりながらも、気にしても仕方ないといった感じになる。