夏の甲子園の開催は、まだ諦めるべきではないと思う。
地方大会を行なう中で、甲子園大会開催を準備していくべきである。
リセットしたところから始めれば良い。
行なっていく中でどうしても無理になれば致し方ないが、最後の最後まで諦めず、栄冠が彼らに輝くよう、開催に全力を尽くしてほしい。
できない可能性があるから中止するというのはおかしい。
平時でも大災害が起きて中止を余儀なくされる可能性は常にある。
余波の予想段階で諦める必要は無い。
専門家の判断が示されているが、社会経済活動の再開については感染症対策だけによっていないので、社会的判断としての整合性を欠く。
感染が抑えらている状況で、関係者をまとまりごとに把握できるのであれば、拡散のおそれを理由にすることも社会経済活動再開の中でバランスを欠く。
安全性の判断も同様である。
参加者を極力少なくし、移動や宿泊を分散させることも考えられる。
高校生なら過保護になる必要は無いだろう。
社会経済活動の再開が模索されている中で、努力や工夫を放棄すべきではない。
来年以降も、中止の理由は見つかるだろう。
不十分な開催を十分に受け入れる必要がある。
審判員が十分でないから中止というのは十分さを求めていることになる。
練習試合でどうしているか。
公式戦だからというのも十分さを求めてのことだ。
判定に疑問がでれば、話し合っても良い。
草野球並みを受け入れないのも十分さを求めている。
練習不十分での体調や怪我の心配というのは、休み明け直後の練習再開時より安全だろう。
体調に合わせてやるべきなのは、いつでも変わらない。
これまでに投手の故障の心配などで開催が中止されてきたわけではない。
正常性バイアスが、感染症対策・自粛側に入れ替わった状態になり、中止決定に傾いたのだろう。
練習できるかどうかの地域差について、不十分な地域のチームが不開催を求めるのだろうか。
練習環境の違いを理由にすれば、平時でも開催できないはずだ。
地方大会の場所の確保や日程も、多くの人のやる気の問題である。
授業の日程も、部活動の最後の場を犠牲にする必要はない。
補修は可能だろうし、学ぶことは後の人生でもできるので、本人の意思によるべきである。
できるのに中止にしているのでは、高校生に余計気の毒なことになってしまうかもしれないが、様々な意見がある中で社会的判断がなされる。