ミヒャエル・エンデのモモが、テレビ番組で取り上げられて、時間泥棒の暗躍に触れられていた。
ここではその話ではなく、思い当たったのが、言葉泥棒 というか 意味泥棒 というか。
言葉の意味 泥棒? 語意 泥棒?
( 誤解がないように付言するが、現実の人が泥棒だというわけではないし、その行為が 刑法上の窃盗罪に該当するとして、特定の人のことを窃盗犯扱いしようとしているわけでもない。)
敵基地攻撃能力 が言い改められての、相手領域内攻撃阻止能力。
アンケート調査で賛成が増えたかもしれないが、中身のトゲが見えないように再包装されて売り出されているような状況に気付かない人も多いのかもしれない。
表現を改めたり、言葉を定義し直すことを否定はできないが、実質を偽るようなことになれば、物語に合わせた比喩で言えば、言葉泥棒による被害が出ていると言えよう。
人目につかず、白昼堂々、とを問わない。
言葉の組み合わせで被害が出やすいのかもしれない。
積極的平和主義の実質は制圧主義であり、平和主義を取り戻す必要があるのだ。
思いやりは様々なことに必要なのに、都合良く特定のことだけが思いやり予算と名付けられ、その名称が使われ続けてしまうことも、思いやりを大切にする人々や社会にとって深刻な被害だ。
( 国が使用した用語だと、絶対に使われないようにするのも難しいので、やめるようにする一方で、思いやりが必要な 他の様々な予算に関して使用することによって、言葉遣いを正常化して、言葉を取り戻すのが 良いのかもしれない。
私がこのようなことを記しても、そのような試みはなされないのだろうが…。)
大本営発表の数々・アジア解放 ・大東亜共栄圏
医療体制の逼迫が、医療提供体制の逼迫と言い改められたりすると、保健所の逼迫等を含めないようにするためなのかとも思ってしまうが、医療に関わる面での保健所の逼迫等は、医療提供体制内の初段階での問題と言える。
検査体制という区分も、医療提供体制内で必要な部分に影響が出れば同じことである。
今のことではないが、インフレで国の借金の負担が軽くなるといったことも、人々の意識にのぼりにくく、時間泥棒的な状況なのだろう。
フェイクニュースは、全くの虚構であったり、意味泥棒であったり、文脈泥棒であったりするのだろう。
ただ、権力側の監視逃れの面での被害が大きいだろう。
消費税にも、負担意識の被害がある。
痛税感の問題にしてしまうのでは、感覚・知覚が奪われる被害となる。