政治理念で対立する政権の長期化を招いておきながら、その在職での長きにわたる労苦を想い 敬意を表するというのは 情けないし、馬鹿げてもいるし、政権下で救われなかった人々への冒涜とさえ言いえるだろう。
言動の適切さについて、政治性・宗教性・思想性・合理性抜きのマナーであれば、人に合わせて良いだろう。
しかし、価値判断と結び付く言動について、安易に多数派・権力側に従ってしまうのは間違いだ。
総理大臣や官房長官の在職期間が長かったからといって、政権の責任を追及してきた側の野党議員・幹部が、お疲れ様だの、敬意を表するだのと述べるのは、反対してきた一般市民への思いやりより、政治家どうしの関係や、与党支持層へのすり寄り・取り込みを重視してしまっているのだろう。
リップサービスや社交辞令に過ぎないと捉えても、必ずしも必要なく、第三者への思いやりも欠いてしまえば、政治的立場上、失言である。
政策を実現するためにリップサービスで関係を良くしておこうというのも、ごますりの域であり、与党側に入党させてもらうか、縦割り100当番を利用したり、請願をすれば良い。
国会のやりとりでの叱責口調は、通常では適切とは思われないが、逆に、政治的に問題視してきたのに敬意まで口にしてしまうのも、不適切発言である。
事務職などの退職・交代と混同している。
外交辞令とも違う。
同調圧力で 政治的に大勢順応してしまうのでは、政治家失格である。
政治業的に 風当たりを避ける姿勢になっている。
予め現実主義の内訳として、日和見主義や迎合主義を掲げておく必要がある。
国家権力内在者どうしで閉じられた良好関係は居心地が良いのだろう。
安倍体制順応主義の末席に最後に加わったとの評価を下すべきである。
理念的に共感している部分も結構あって、たまたま野党側にまわっているだけであるような集合体であれば、問題の根が予想以上に深いことになる。
悪かったら長く続いていないという評価を肯定してしまうとすれば、それは自分の判断基準を 元々持っていないか、 失くしたか、大切にしていないか、あるいは 善い悪い・正不正について、支持者・多数派側の価値判断に影響されているに過ぎない。