「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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言葉泥棒 ( 意味泥棒・語意泥棒 ) による被害について考えて見よう。

 

法も制度も言葉も、その実質に適った趣旨や意味で、解釈・運用・使用がなされなければ、文字通り 存在意義・意味を失う。

 

実質・主体を奪われるという被害である。

 

ダブルスピーク ( 二重語法 ) と似ているが、別の表現に置き換えるのではなく、言葉そのものを乗っ取ってしまう点で違いがありそうだ。

 ( 語句の組み合わせだと複合的になるのかもしれない。例として、積極的平和主義 )

 

 

言葉泥棒は、言葉 (の大切な意味) を奪う点で、言葉狩り的な面があるのかもしれない。

 

とはいえ、一般的に使用される言葉の意味が、私的使用で泥棒されたとしても犯罪ではないだろう。

( 著作権が関わるものであれば問題が生じるのかもしれないが。)

 

ルパン三世がクラリスの心を盗んでも、銭形警部は逮捕できないのと同じかもしれない。( 罪刑法定主義?)

( ハート泥棒としてであって、洗脳やマインドコントロールだと別の部分で問題となる。)

 

その一方で、法や制度や言葉の意味に関しては、犯罪でなければ良いというわけではなく、ここでも公共性や公正さについて問題があれば、是正される必要があることになるし、場合によっては法的な問題が生じる場合もあるのだろう。

 

 

窃盗という表現であれば 刑法上の意味が主だろうが、泥棒という表現は 比喩で使用しても 言葉泥棒にはならないように思われる。

 

ただ、泥棒という表現での誤解を避けるために、毎回説明を添えるのもどうかと思われるので、「 語意簒奪 」という表現は如何だろうか。

 

言葉泥棒のほうが、一般的に使う場合には分かりやすいが、誤解を避けるためには語意簒奪が良いかもしれない。

 

その場合でも、簒奪者・簒奪していると述べるのでは、名誉棄損や言論の自由が問題となるかもしれず、あくまでも言葉の意味が簒奪された状態になっているという表現であることが認識される必要がある。

 

( 言論の自由といっても、都合良く言葉が乗っ取られてしまえば、言論が依って立つ基盤が破壊されてしまうことになる。)

 

「 語意簒奪にあたる 」といった表現なら良いのかもしれない。 

 

それなら、「 言葉泥棒にあたる 」でも良さそうにも思えてきたが、それだと元に戻った感があり、被害が出ているという表現のほうが良いのかもしれない。

 

誤用であると指摘するのが無難なのかもしれないが、この種の場合には、本質を捉えきった表現とは言えないであろう。

 

広く使われるようになれば、言葉泥棒にあたるでも良さそうだ。 

 

「 意味の簒奪 」が良いかもしれない。

 

 

後から思いついたものでは、

 

言葉のヤドカリ … 可愛すぎるかも。正当化に使われそう。

 

寄生 … 寄生にも色々ありそうだ。少し気持ち悪い。

 

冬虫夏草 … 体に良さそうで、正当化してしまうかもしれない。

 

托卵も 正当化につながりそう。

 

 

以上すべて、自分で考えただけなので、使用を勧めているわけではない。

( 自助による 責任回避の取り組み )