「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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実現することは難しい開催形態かもしれないが。

 

東京五輪の全体的な開催が難しくなった場合には、世界のどこか ( これまでの国際大会開催地など ) 感染が抑制されている複数の都市と共に、分散して リモート的な開催をするというのはどうか。

 

東京五輪のマラソンが、冬季五輪 開催地 札幌 で行なわれるのであれば、やる気次第とも言えるだろう。

 

選手への影響は 当然大きいが、中止・不参加と比べてどちらが良さそうか検討するのが良いだろう。

 

 

開催地に コロナの火種を持ち込んでしまうおそれがあるが、国際公共性や国際協調主義を どう捉えるかによる。

 

新型コロナを完全に撲滅する、死者をひとりでも増やさないという姿勢であれば、早くから中止を決定すべきだが、できるだけ開催する方向性で考えられているのであれば、各国が協調する大会というのも意味がある。

 

( 社会全体で平等にどの程度のリスクを負うかということと、特定の人を犠牲にすることとは違うが、リスクの度合いが違う場合には、配慮や保護が伴なわなければならない。)

 

チケットの払い戻しなどへの理解・協力も必要となる。

 

商業面も工夫による。

 

 

 

以下は 五輪についての個人的な回想である。

 

全く普通の人間で、あまり気にする必要もないのだが 、何となく 個人情報面は伏せておきたい気持ちも強い。

 

伏せると回想を記せなかったりするが、色々と書きすぎると、それはそれで他者が関わることについて触れにくくなる面もあり、躊躇してしまう。

 

さて、前回の東京五輪開催時に、この世には参加していたが、競技を見た記憶があるわけではなく、これまでのテレビでの映像や話題に接してきただけだ。

 

直接的な経験として 唯一あったらしいことは、自衛隊の飛行機が空に五輪を描いたときに、近所の町角で 母に抱きかかえられて、ほらほらと見せてもらったことだ。

 

一歳半弱だったかで、一般にはその後 聞かされた話の記憶ということになると思うのだが、自分で目にしたという感覚がゼロではないような感じもある。

 

札幌五輪も直接見たわけではないが、日の丸飛行隊の活躍はテレビで観ていたと思う。

 

コーラの瓶の王冠の裏を剝がすと、競技のピクトグラムというのか、印刷があるというのが、札幌大会時だったような気がする。

 

ミュンヘンオリンピックでの男子バレーボールの優勝は、「ミュンヘンへの道」と合わさって、成功物語として印象が強く残っている。

主題歌は、今も好きな曲のひとつだ。

 

悲惨な事件は、子どもの記憶としては残っていない。

 

長野オリンピックの団体ジャンプは、誰でも思うように、最後がうまくいって良かった。

 

伊藤みどりさんがトリプルアクセルに挑んで 銀メダルを確保したことは、自分の中では、月面宙返りや男子バレーボールの優勝と同じ感覚だ。

 

柔道での感動的な場面もあった。

 

一方で、その時は残念でも、後から振り返ってみれば、金メダルだけに価値があるというわけではないこともわかる。

 

東洋の魔女は、映像や言い伝えで知っているが、それぞれの時代で、海外選手の活躍も含め、大きな感動があるのだろう。

 

 

自国開催でも、子どもがみんな、直接 競技を観るというわけでもないし、聖火リレーに参加するというわけでもない。

 

ラグビーワールドカップなどでも、活躍すればテレビで観ただけでも記憶に残る。

 

今は インターネットもある。

 

東京五輪を、世界開催するというのも 夢がありそうだ。

 

 

別の話になるが、小中学生の徒競走では、速いほうの中で遅いほうという不幸なところに位置していた。

 

前の国立競技場のトラックを走った経験があるが、ほろ苦い思い出だ。

 

出場選手には選ばれても、みんなが見ている中で負けるのが確実で、実際そうなった。

 

努力では埋められないところがそのまま出てしまうし、個人競技である点も辛かった。

 

出場できることに 喜びを感じられたなら 良かったのだろうが。

 

今なら きっぱりと断る。

 

中学の時は、もう出たくないと思い、体育の先生に話をしたが、出場選手枠の関係上、断りきれなかった感じだ。

 

小中学校の地区大会で、全校生徒が見学するするような場合には、辛い立場の出場選手も出てくるので、配慮が必要だろう。

 

せめて 羨ましがられるくらいの参加賞をあげてほしいと思う。

 

つい最近、運動会の出場種目を選べる学校の話をテレビでやっていたが、それは良いことだと思う。

 

機会が開かれていることはとても大切だが、様々なことについて、断れるようにしておくことも大切だ。

 

ただ、自分の判断だけで 自分の可能性を閉じてしまうというのも 良くないので、周囲のアドバイスが悪いというわけではない。