「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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とりとめもなく。そして  ...    雑記帳。

 

とりとめもなくと 雑記帳 は、お友達だった。

 

手書きの落書きの方法 ( あるのか知らないが ) を知ったら、もっとごちゃごちゃするだろう。

 

「もしもピアノが弾けたなら」のピアノもそうだが、絵もね。

 

である調が ため口なのかは 分からないが、その辺も自由にしてみようかと思う ... のじゃ。

 

 

お茶の間がない お茶の間のコメンテイター。

 

以上が、思いついたことを書くまでの間に思いついてしまったこと。

 

( お茶の間の は、たぶんテレビに出てる側の人のことを指して使われていたと思われるので、表現を間違えたのかもしれない。

 

比喩を最初に使ったのがどなたで、いつから始まったのかなどを調べてはいない。

 

正しい用法が定着していて、それ以外の使い方が間違いとも言えないのかもしれないし、よく分からなくなった。

 

ごめんよ、メンフラハップ。

 

誤用が 慣用に 花開いて?いくような瞬間と、昔あったフレーズなども使いたくなる瞬間をお届けしました。)

 

 

政治家などが 自説の理由探しの旅から帰って来て 提言をまとめても、客観性が不十分だと 意味がなさそうだ。

 

学術組織のことや、ミサイル防衛もそうなのだろう。

 

意図された 結果的制圧主義?。

 

提言の数だけでは … もうたくさん。

 

経済の安全保障だ戦略だと、何でも戦いありき。

 

戦い保障?

 

友好関係 構築 模索 ? 鍛造 ? 会議 を作り ... なはれ? 作っといてな。

 

 

緊急事態宣言を出す状況にないといっても、良くない手順に沿わなければならないとすれば、専門家が対応を誤る可能性もありそうだ。

 

感染症対策では、酷くなる前の対処が大事だろう。

 

 

 

GO TO を出したまま 曖昧なブレーキを踏むと、生活の下支えのない期間を作ってしまうようだ。