「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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ワクチンに対しては、副作用ではなく、副反応という言葉で使い分けがなされていることを知らなかったが、英語だと同じらしいし、作用するという意味を考えると、反応を含めても良さそうでもあり、区別しなければならないほどとも思われないのだが ... 。

 

副作用の悪い感じが、副反応だと ただ反応しただけのようにも感じられるが、慣れていないだけなのか。

 

他の効用・副次的効果の可能性も含めて考えると、副反応による効用と、副反応による病害などと言い分ける表現が必要なのかもしれず、副反応だけだと やはり 反応しただけということになりそうだ。

 

副作用に対して副効用という表現があるのか分からないが、短い表現で済む。

 

作用自体に悪い意味がないとすれば、副害悪などの表現のほうが合致しているのかもしれないが、それだとマイナスイメージが強過ぎて避けられるのかもしれないし、副と合わなくなるのかもしれない。

 

副作用という表現には既にマイナスイメージがあるので、副作用による効用・効能というのも変な感じだ。

 

もしかしたら、作用という言葉の意味の一つとして、悪い影響が読み込まれる場合もあるのかもしれないし、副が付くことでそうなるのかもしれないが、副に悪い意味があるわけでもなさそうだ。

 

反応や副反応について同じ捉え方がなされれば、作用や副作用と同じ感じになるが、効用のほうは、同じ副効用・副次的効果になるのだろうか。

 

自分で決められるわけでもないので、考えるのをやめよう。

 

 

 

SNS上で批判されて 自ら命を絶ってしまう人もいるが、自分のスタンスは、( ネットで確かめたりしないのだが ) 仮に色々な点について批判がたくさんあったとしても、自分とは違う意見だ、自分の意見のほうが正しいと思うだけだ。

 

死を選んでしまうのは、共感してもらえることがとても大事な時だったりするのかもしれない。

 

生活に実害が出て 法的措置などを執らなければならないとすれば、自由が歪められた状況ということになる。

 

自由が歪められるというのは、全体主義下や独裁下の社会状況と変わらないだろう。

 

脳内ホルモンの作用で、制裁に快感を覚えるように人間ができているのだとしても、道徳的に行き過ぎを抑えることはできるはずであり、他の気持ちや意識次第で、軌道修正できる可能性が否定されているわけではないはずだ。

 

 

 

35年くらい前だったか、ある方の講演を聴いた時のこと。

 

聴衆の質問に応じる場面だったのか、あるいは 質問者が突然立ち上がって 質問を投げかけたのかは 忘れてしまったが、竹島を韓国が実効支配していることについて どう思うかと、講演の内容とは関係ないことについて、確か 涙ながらに 問い掛けがなされた場面に居合わせたことがあった。

 

講演者も聴衆も驚いた感じで静かに聞いていたと記憶している。

 

講演者の見解を今思い出すことは困難で、ここに示すことはできない。

 

ただ、質問者を、聴衆のひとりとして尊重する姿勢であったと思う。

 

講演の内容とは関係がないことについて、質問者がその場を利用して発言したような感じで、自分としては不快感を覚えた。

 

 

少し前に触れた、価値観の違いを楽観視していたということのひとつでもある。

 

涙ながらというのは、平和的な範囲内のことだが、自分や他の誰かが生まれ育った特別な場所というわけではない場所の領有を、涙を流して主張していた様子を思い出すと、危険を感じてしまう。

 

領有権の主張は正しいのだろうが、平和より 自国が主張する領土が第一になり、武力衝突でも起きてしまった場合に、国民が一方向に傾き、戦争回避の主張を非国民扱いするような社会状況になってしまうのではないかという危惧がある。