政権を担うのは大変だろうが、交代しましょうという人も多い中で 譲りたくないのなら、敬意を持つことを 道徳的に強いられても困るし、政策の問題点について批判が鈍るのも良くない。
優しさを主としても、政策の問題を見過ごすというわけにはいかないので、大変でしょうから交代して下さい、ということになる。
あるいは、一緒にやりましょうということも考えられるが、それもできないのなら、支持する人々による慰労について、 道徳的な押し付けが醸し出されるのは問題がある。
家庭教師がついたら、夏休みの宿題を冬休みにやるようなことにはならないはずだが、大人だから 結果に … 関与 ? してもらって、果たせなかったら、お金を返してもらって、関係を清算すれば良いなどと政治でも思ってしまう人がいるのかもしれない。
3波と呼ばれていても、早過ぎた GO TO を伴なったままの 夏の宿題だ。
勝負でやる気を見せずに負けた政府のために、国民は次に真剣勝負で命を懸けさせられるのだろうか。
真剣勝負?の3週間 、 背水の陣?の3週間 、 命懸け?の3週間
勝負と表現した大臣と他の大臣の間で、勝負の時が 1か月もずれているのでは、閣内不一致である。
まだ、知見とずれがありそうだし、自粛しない人、できない人も増えていそうな分を、1波の時より強く打ち出さなければならないはずだ。
見解を軽視された格好の専門家が、和らげた言い回し・評価をするのでは、国民より政府側に忖度するのかと感じられてしまう面がある。
専門家が政府の対応を批判すると、それを批判する反応が出て、政府の対応を批判できないというのでは、中国と同じようなものだ。
経済の専門家に良識がないというわけではないが、災害救助と同じような場面の司令塔で、経済方面から感染症対策の方針に関与するというのは、元々おかしな要望に基づいた組織・運営であると考えられる。
経済対策は、与件の下で最善策を講じるものであるはずが、感染拡大といった与件を変えられるかのような思考の陥穽に、政府も経済界も はまったのだろう。
元に立ち返り、経済面からのアドバイスを含め すべてのことを踏まえた内閣として、感染症対策の専門家の見解を採用できるかどうかを、責任を持って判断すべきである。
医療提供体制を守るということが、システム・機能に意識が向いてしまうのは問題がある。
人に意識が向いても、全体を改善する視点だけでなく、個々の人に負担が掛かり過ぎていないかを気に掛ける必要がある。
その意識があれば、逼迫しているかどうか、崩壊し始めているかどうかといった、見えない足枷に囚われるようなことは無くなる。
余裕のある人が、普段より贅沢をしたり、割安で楽しんだりして経済を回す役割と、普段より厳しい医療・介護・エッセンシャルワークの役割とに分かれてしまうのでは、格差・不平等が甚だし過ぎるだろう。
ブレーキを掛けるのに時間が掛かる経済対策は、感染拡大防止を考えなければならない状況下では、不適切な政策である。
GO TO 以外の政策についても、政府の責任で提示すべきである。
1波について、抑制に成功したと単純に考えるのは間違いで、制動期間が長引けば苦しくなるという失敗から学んでいない。
5人以上の会食を控えるよう呼び掛けておきながら、首相自らが 逆の意味でやって見せたことについて、反省の弁を述べたのは当前であるが、その前の段階で、政府の言い訳をする係の人が、政治家は特別であるかのようなコメントを出した点は問題がある。
強権・権威主義の国のスポークスマンと区別できない。
辞職もののコメントが、政府見解を示す場でなされれば、内閣総辞職ものということだ。
学術会議でも、検察でも、内閣法制局でも、桜を見る会でも、公共性に関して 都合良く操作しようとする政党・政府は信用できない。
意にそわせられず、都合が悪く感られて、当該組織を廃止したくなる政党・政府というのも 同じことだ。