医療での貢献は分かりやすいが、感染拡大の要因と指摘されるところでの活動自粛は、複雑なのだろう。
公共性の面で、人々が協力する必要もあるが、多数決原理で強制しようとすると、人権保障も含まれる公共性を自滅させることにもなる。
効用の総計が大きくなりさえすれば公共性に適うと考えることはできず、公正さが重要である。
密集・密接・密閉といったことは、人間の歴史上で、不道徳とされてきたことではない。
収束しても、今後に影響が残ることも考えられるし、現状でマナー化している部分もあるが、政策的にそうしているだけの面が強い。
政策的な部分で刑事責任を問うのが疑問視されるのは、道徳的に確かではないからだろう。
政策的な切り換えであれば、半クラッチで軋轢をなくす必要があるだろう。
時間が無くて、お嬢様言葉でなくて?ごめんなさいね。
らくがき度も高いので、修正・補足が必要になるかもしれないんですけどぉ。
論点と少しずれてたみたいだし、考えて書く時間がないので、やめにします。
入院や調査も元の部分では協力だし、政策のひとつでしょう。
収入や資産によって過料の額を変えたほうが良さそうですけど、そこまで大きな額は考えられていないみたいだわ。