ヨシ、ジョーと、日米首脳がファーストネームで呼び合うというのは、中曽根内閣の妙な遺産だわね。
シンゾ―というのも、国民は親御さんじゃないから、違和感たっぷりだったんじゃないのかしら。
日本語の愛称は、ファーストネームというよりは、ちゃん付けのほうが一般的ね。
それに、西洋だと、国民がそう呼んでも非難されることはないでしょうけど、日本じゃ、そういう下地がないわ。
ふたりの間だけでの呼び名かもしれないけど、米国民は使えて、日本国民は事実上使えないというのは、不平等扱いになるんじゃないのかしら。
ヨシ呼称自粛警察が出てきたら、公的に保護しててもらわなくちゃ。
( もじりの自由も お願いしたいわ。)
ヨシと会食する人には、ヨシ使用を強制しちゃいましょ。
ごめんなさいね。
あたし、100~300人規模の集まりの中で愛称で呼ぶことを何となく求められて困惑したこともあったのに。
馴染んでないことをするのも、思いやりからならいいけど、どうせPRなんでしょ。
( 思いやり呼称 とかは、もうやめてちょうだいね。)
でも、そういう国の方針なら、お堅い報道機関にも、ヨシって使ってもらわないと。
喰いつくわよ~。
いいわね、よっちゃん、すがちゃん、お友達のみんな。
そういえば、ガースーというのは、自称なさっていたようなので、公認済みということなのかしらね。
前々政権で、党内でドジョウになると言いながら、国民に対しては、ドジョウ宰相にならなかったのは、やだったわ。
政策的にもそうだったのかもしれないし、プライドの答弁で、アベノギミクス政権 ( ここに含まれるギミックを、肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは開いておくわ ) を生んでるし。
勝てば官軍方式で悪夢評価 ( レッテル貼りを批判しながら、他者にレッテルを張り付けるというのもギミックかも ) がなされてる面も多分にあると思うけど、はとちゃん・かんちゃん・すがちゃんも、ドジョウになったわけではないので、思いやりに適った政治にも ならなかったんじゃないのかしら。
すがちゃん・よっちゃん内閣は、支持率が低いほうが、アベな義にすがらず、ドジョウの立場で国民とすがりあって、すがすがしい義で偉くなれると思うんですけど、どうかしらね。