責任を問われて辞職する人の主導で後任を選ぶというのも、おかしなことだ。
後任の人は信頼できる人かもしれないが、辞職する人の事実上の支配力に皆が従って受け入れるというのでは やはりおかしいし、問題がある。
せっかくのふさわしい人であったとしても、疑問視される要素になってしまう。
今まで運営されてきて、そのようなことが普通に受け入れられるとすれば、集まり自体、組織自体にも問題があり、辞職する人の影響力を残して、体質・体制を変えずに批判を受け流すようなやり方なのではなかろうか。
党派を超えて様々な人々の中から幅広く選ばれた組織なのか。
五輪自体に公共性があるので、部分的な代表者が 日本国として振る舞うのでは、その趣旨に反してしまうのである。
他の政権を悪夢呼ばわりした安倍政権の負のレガシーが遺されてしまっている。