「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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責任は、あるかないかの客観的な判断というよりは、負わせるか負わせないか、有罪にすべきか無罪にすべきかという主観的な判断にならざるをえないようだ(らしい)。

 

米大統領の弾劾裁判について、一般人の刑事責任なら違法行為までは呼び掛けていないという主張に納得もできるが、自身の影響力で不特定多数の人々に対して、議事堂に向かうように呼び掛けて、特に何をすべきだと述べたわけでもないようだが、逆に曖昧にして何が行なわれるか分からない状況にしてしまったのであり、大統領の地位にある者としては責任が問われて当然に思えるが、結局、評決にあたっての党派的人員構成次第らしい。

 

特別多数が必要とはいえ、多数決で弾劾することには抑制的である必要があるが、暴動に発展してしまったことに大きな責任を感じずに政治家を続けるというのでは、今後の暗示的な扇動の余地も残されてしまうため、有罪が妥当と言わざるをえない。