人間関係でのマウントということが一般に意識されるようになって、少し過剰な反応になっている面もあるのではなかろうか。
他愛もない ( 悪意のない ) 自慢話や、結果的・客観的に自慢とも受けとめられる内容だからといって、何でもマウントと捉えるのは、そう思うほうにマウントを取りたい気持ちがありそうでもある。
いいことがあってその人が嬉しくて話したいというだけで、聴く側が自慢だマウントだという思考経路に入ってしまうとすれば、それはその過剰な反応のほうに慣れてしまっているからではなかろうか。
何か変な言い方が引っ掛かって、後から気づくこともあるが、悪意が込められているのか読み取れない場合に問題視しても、精神的に良くないだけだろう。
相手にいいことがあったというだけのことを、良かったねと思えず、妬み・嫉みを感じてしまう場合は、自分が優しさを意識したほうが良いと思われる。
そのほうが、幸せに過ごせるはずだ。
羨ましいと思うだけなら良いが、妬み・嫉みは憎しみの感情を伴なうものだろう。
マウントは人と比較して満足を得ようとする心情であろうから、自分が得たことを掛け値なしに心からありがたいと感謝することができないということになる。
また、悪意を持ってマウントを取ろうとする傾向を持っている人は、優しさ・思いやりが不十分なために深い幸せを感じることができていない可哀そうな人なので、こちらが悔しいと思う必要はない。
その人が悔い改めて幸せになれるよう、マウント的にではなく、心から祈るのが良い。