「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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満足するまで食べるということを、当たり前にし過ぎていたようだ。

 

腹八分が良いことは、言葉としては知っていたが、食べ出すと食べたいだけ食べてしまっていた。

 

目標をクリアするためには、それを超えたところを目指さないと、自分の場合、達成できないことが多い。

 

 

今日の夕食は、五分目を意識した。

 

飲み物やデザートで、結果的には八分目以上になったかもしれないが、いつもよりは少なくできた。

 

食べ終わった後に片付けや歯磨きがおっくうになるのは、食べ過ぎだったのかもしれない。

 

今のところ幸い、食べることまでは困っていないので、少なくしたほうがむしろ楽に生きられそうだ。

 

 

満足するかどうかを判断基準にせず、適切な質と量を意識して済ませるようにしようと思う。

 

( ある程度の量を決めて、そこに幸せを見い出すのが良さそうだ。)

( 体に必要な量と食欲は合致しないので、精神的に充たされることが大切になる。)

( 心からの感謝の気持ちを支えるのは、優しさである。)

 

 

療養のための食事制限下でも幸せに過ごすことはできるだろうし、健康を保ったり、日常を過ごしやすくするために過不足を考えて食事の質と量をコントロールすることも必要なのだろう。

 

ずっと前に、一日一食 ( 飲み物以外 ) だけにして 好きなだけ食べるというのをやってみたことがあり、体を絞ることはできたのだが、その後の知識としては、胆汁か何かの分泌の面で良くない面もあるのかもしれないので、またやろうとは思っていない。

 

 

買い物の段階で たくさん買い過ぎていたので、そこでも適切さを意識したい。

 

豆腐や納豆や卵は減らさないので、栄養失調にはならないだろうと思っている。

 

( バランスは大切だし、人によって食生活は違うので、何かを勧めているわけではない。)

 

 

物を捨てることよりは、継続できそうな気がしてきた。

 

( 思いついただけで終わることも多いので、さて、どうなることか。)

 

 

話を人類や環境問題につなげてみると、地球上で持続可能な生活水準の中に幸せを見い出さなければならない状況というか、見い出すことで環境問題を解決できるし、人々が幸せに過ごせるとも言える。