「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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今まで、生き物を殺したくないということについて、仏教の不殺生としか結びつけて捉えていなかったかもしれない。

 

ヴィーガンについても、聞いたことがあるといった感じだった。

 

菜食主義 = ベジタリアン  →  野菜や健康が好きな人というイメージ。

 

 

いろいろな捉え方があることを知った。

 

自分の考え方は、脱 搾取 主義 といった方向なのかもしれないが、生命尊重主義と表現しておこう。

( 樹木や草花を切ることが必要でも、ためらわれる気持ちも人間は持つ。)

 

 

たまごや乳製品については保留中だ。

 

卵細胞?にとどまっている状態だと、命の源ではあっても、感覚的には植物と変わらない。

 

飼育環境が改善されたりして、現実的に救われるかどうかは、現場で携わっている人の意識に委ねられている部分が大きいし、アニマル・ウエルフェア ( 動物福祉 ) という視点もあるらしい。

 

処分される流れがあるとすれば、与えてもらった恵みに感謝するというようなこととは真逆の扱いになってしまう。

 

色々と知ると、自分の考え方からは、やめる選択に傾く。

 

卵・乳成分が含まれる製品は広範囲に及んでいて難しい面があるので、代替できる製品が見つかったら、それに替えていくというスタンスにするか、精神的面でのアレルギーとしてやめるか、考え中だ。

 

食べられないほうに意識が向いてしまうと不幸だが、栄養を気にしながら自分の好みで選んで工夫でき、美味しさに満足し、感謝できる。

( 食品アレルギーや栄養素を気に掛ける必要がありそうだ。)

 

 

自分がやめて世の中が変わるわけではないし、植物や昆虫など、生物すべてについて貫徹することはできないのだろうが、 従来通りで良いとも思わないので、できる範囲でそうしようと考えている。

( 論理的思考にしたがっても、人間が矛盾なく完全に正しい生き方をできるわけでもないようなので、感覚的な面も合わせ、優しさを主として判断しようと思う。)

 

特定の 宗教 や 教条 に 依拠しようとは思っていないので、様々なことを知り、想い、理解して、思いやりを持って 自分で判断しようと思う。