「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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自国開催によって オリンピックが嫌いになる場合があることまでは、予想しなかった。

 

強要されていると感じる人がどれ位いるのか分からないが、自分としては これから数十年間 オリンピックが嫌いであり続けると思われので、たぶん一生嫌いになるトラウマとなりそうである。 

 

 

それぞれのプレーには感動できると思うが、平和の祭典というのは 結果としてもたらされるものであって、開催を強行して得られるものではないということも分かった。

 

犠牲や困難な状況を強いて開催するというのは、五輪の性質上、掲げる理念に反するはずである。

 

理念を重視していれば、それと矛盾することを強いるというのはおかしいので、強いて開催しようとすることは、動機が経済的な思惑や威信であることを窺わせる。

 

 

 

誰から、何者 ( なんしゃ ) から 強要されているのだろうか。

 

パンデミック下で国際公約を理由とするのも不当である。

 

パンデミック下で開催を強行するのは、悪しき前例となるに過ぎない。

 

 

国内のイベントに準じるというのは、元々不十分な対策のせいで 抑え込みも不完全な状態で緩和したものを、国際的な最大級のイベントの基準にまでしようとする、おかしな考え方である。

 

感染拡大 ( 人々の身体・生命に対して害悪となる ) リスクを無視できないという専門家が多いとすれば、問題無しとする見解を取り入れて開催するというのは、国民の生命に関わるという性質上、憲法違反だろう。

( 中止することができなくなったと判断して中止の必要性を述べなくなるというのは、戦争が始まってしまったら協力するだけというのと同じだ。)

 

中止の判断を先延ばしにして中止は困難になったと主張したり、権力者の個人的な想いを語ることによって賛同する人々が仮に出てきたとしても、あるいは 国民が中止を諦めて開催支持にまわったとしても、国民を危険にさらす点は変わりようがない。