「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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親切な気持ち ( 親切心 ) は、精神的にはかなり自分のためになりそうだ。

 

優しさや思いやりの心から導かれ、それをより機能的に意識できるのかもしれない。

 

 

完全にはできないし、程度もかなりの差がありえるが、自分以外の全ての存在に対して向けるのが良さそうだ。

 

朝、目覚まし時計が鳴った時、目覚まし時計に対しても親切心を持てば、起きようとする判断に傾く。

 

選手がスポーツでうまくいかなかったときに親切心を意識すれば、物に当たることもなく、気持ちを制御でき、自分のためになる。

 

 

気分が悪いときや嫌なことをされたときに親切心を持とうとするのは苦しいが、自分の心が癒される方向性に沿う。

 

究極的な姿としてはイエスキリストのようで難しいが、損や肉体的な苦しみがありながらも精神的には救われる。

 

完全な愛は難しく、義務感では乖離があるし、それに近づけば、大切な人という概念も無くなってしまいそうであるが、親切心や友愛・友好の感情であれば、義務感からでも高めていくことができそうだ。

 

親しく接することに力点があると、性格や状況によって難しいことも多いが、優しさを持って利他的な志向を目指すということならできるだろう。

 

 

心頭を滅却すれば火もまた涼しと考えなければならない状況に陥ってしまった場合、自分の予定としては、親切心を意識しながら、自分が得た幸せを思い出して感謝することとしたいが… ( 忘れてしまうし ) 、どうなることか。

 

心や行動のレベルは色々とありえるが、目覚めている間、いつも親切心を意識して、どのような瞬間も親切心をゼロにせず、できる範囲で高めようと意識することは、自利利他に適うと思われる。

 

他者に実際に親切にする気がない親切心はありえない。