五輪に停戦を結びつけることは、人間相手にはメリットがあるかもしれないが、ウイルスや自然災害は、五輪の意義と無関係である。
五輪や芸術への想いは人生に重要であるが、すべての人間の営みと同様、活動が必ず保障されるというものでもない。
楽しむことも、現実に生きていくためには必要であるが、追悼・黙とうすれば、その後は公然と、はしゃいでいいということでもないだろう。
五輪開催の意義というのは、自国開催したい人々が、都市や国や民間の資金・協力を得たり、世界で認めてもらうために、後付けでこさえるもので、仮に利他的な理念が掲げられたとしても、利己的動機に基づいているため、都合が悪くなれば別の理念をいくらでも掲げていくことになるし、終了後も正当化が図られるだろう。
ニュースで、メダル獲得をトップで扱い、五輪を中心に報道することは、宴に興じる姿と感じられる。
最大の関心事としてメダル獲得を位置づけるのでは、平和も多様性も調和も無関係になっている。