コロナ対策において、強制でも、協力でも、完璧を求めることはできないが、どちらにしても社会全体としての実行のレベルが 一定期間 高く保たれないと、焼け石に水となってしまうようだ。
検査で見つけて入院・隔離するという方法においては、検査が及ぶ範囲が小さいと、取りこぼしが大きくなり、その範囲で隔離を強制 ( 要請・勧告 ) しても、全体での効果が限定的となる。
積極的に入院治療を希望する人だったり、職場・学校・帰省などでの必要性がなければ、自覚症状が無い場合には、進んで検査を受けるということにはつながりにくく、見つかりにくい。
入院・隔離を強いられる状況だと、少し鼻水が出たからといって重症化リスクの低い人が、その度に検査を受けることを期待するというのも、無理がある。
感染しているのかどうか分からないまま活動を抑制していると、社会が成り立たなくなる。
検査の精度が高いのに越したことはないが、自宅で本人が気軽に確かめられるようにしたほうが、社会全体での感染抑制につながると思われる。
感染した場合に、それを自覚できる機会が増えたほうが、自宅で過ごす自主隔離も多くなるだろう。
陽性で申し出ない人でも、わざと他人に感染させようとする人は稀だと思われる。
普段、感染対策が緩く、マスクをしなかったり ウレタンマスクで外出している人が、不織布のマスクを着用したり、自制や対策を意識するようになるだけでも、その分は社会的なリスクが下がるだろう。
新型コロナへの対処の必要性は 社会全体でほぼ共有されていると思われ、現状での、ワクチン・飲み薬・治療法などやオミクロン株の特性から考えると、治療が必要で入院を希望する人々が迅速に受けられるようにすることに注力すべきであり、入院・隔離の強要は 感染抑制の足枷ではないだろうか。
防犯や科刑が目的ではないので、全体的に性善で社会が動き、社会的効果につながるように考えるのが良い。