「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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人間の際立った能力・作品・表現などについて、人々から称賛され、栄誉が与えられている。

 

スポーツでは、身体が大きいほうが有利なことが多い。

 

その場合に、それを不利なほうに調整することがフェアだとは、一般に考えられていないと思われる。

 

恵まれた体格が、そのまま活かされている。

 

個別に調整すると、称賛や栄誉が、調整する側のさじ加減に影響される。

 

 

さて、スキーのジャンプは、用具の影響が大きいらしい。

 

芸能での舞台衣装の拡張は、舞台セットとなり、究極は宇宙との一体に辿り着くが、スキー板やスーツが、翼やパラシュートに近づくと、運動能力の競い合いではなくなる。

 

ただ、世界大会を開き、多くの人が競技を楽しめる方向で行なっているとすれば、用具に関して体格基準のルールを設定して公平を期すより、 体格・体重別にしたほうがいいかもしれない。

( S・M・Lくらいでも、フライドポテトのように?、供給側の事情・競技者数の関係上、難しかったりするのかは分からないが 。)

 

 

選手側のその時の身体のむくみ具合・筋肉の張り具合如何で、不正扱いされてしまうのはおかしい。

 

また、検査者側について、たとえで言うと、工業製品の生産現場の検査で、スケールの扱い方など 検査方法を曖昧にしていて、突然、規格外として不合格にすれば、混乱するのは明らかだろう。

 

なにより、物との違いで大きいのは、人の場合では不名誉なことになってしまうということであり、人権に関わる。

 

オリンピックの理念に反する運用・運営になる。

( オリンピズムの根本原則として、人間の尊厳の保持ということに言及がなされているようである。)

 

 

事前に不正を防ぐことができず、後で不正が発覚したような場合は別として、用具に関して、事後に失格とするのは、ホームランを打った後にバットの規格を検査するようなもので、正しさが迷走している。

 

また、柔道で、、道着が身体に密着していて掴めなかったのではないかと、試合後にランダムで検査するというのでは おかしいだろう。

 

 

根本的な問題は、ルールのほうにある。

 

体格によってバットや竹刀の長さに差をつけて戦うというのでは、フェアとは言えないだろう。

 

体操で、大柄だと不利だからといって、小柄な選手の能力を抑えるようなルールには しいていないだろう。

 

スキーのジャンプでも、恵まれた体格があるのだととすれば、それが活かされるようにするのが通常のスポーツのあり方であり、用具の基準が同一でないほうがおかしい。

 

一緒に競い合うのに、用具の限界基準を体格で決めるというのは、フェアについての勘違いが原因か、不利な側が 駄々をこねて、それが まかり通った結果であろう。