戦争(軍事的)合理性というのは、悪の思考回路を言い表したものだろう。
合理という表現だと、一理ありそうだという傾きを内包してしまう。
理ではなく、(利己)目的遂行に沿うかどうかというレベルに過ぎないため、合目的性 ( 合利性・合欲性 ) か、あるいは、目的や倫理観が悪なので、誤解の余地をなくすためには、合悪性 というラベリングが妥当だろう。
経済合理性・市場機能も、それは道具としてのメカニズムであり、道具の僕(しもべ)になるのは おかしい。
生じる問題を看過すべきでないことは、合悪性の下でなされる暴虐を許すべきでないことと同じである。
( 神が いても いなくても ) 人間は、経済合理性や軍事的合目的性より上から判断しなければならないのである。