「 優しさを主とし、知的・客観的に確かな 思いやりの心 」  それを推奨していますが ... らくがき帳になっています。 ( 何の専門家でもありません。)

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言葉の暴力というのは、実際の暴力が許されないものであることを前提として、誹謗中傷のような言論についても、同じように許されるべきではないという比喩であろう。

 

その暴力を否定する意味合いが、肯定する意味合いに すり換わる。

 

言葉も暴力と同じかそれ以上に人を傷つけるものであるとして、なされた言葉の暴力に対する報復として、現実の暴力が容認されえるかのような変換機能・連絡通路として利用されてしまうらしい。

 

暴力を容認してしまう傾向があるとすれば、比喩の表面的な意味合いに反応して紡がれた誤解に基づく面も多分にありそうである。

( 時間泥棒のように、意味泥棒が悪さをしているのかもしれないが。)

 

不快感を暴力によって解消することについて 正当化されてしまうことは、問題である。

 

 

また、誰が一番悪いかという視点は、個々の問題を軽くしてしまう。

 

事情を斟酌して暴力行為を容認してしまうことは、独裁者の侵略行為にまでも行き着く。

 

 

世界的に注目を集めている場で 不適切な行為がなされたにも拘わらず、その行為者が賞を授与され讃えられてしまうようなことは、社会的に問題であると共に、その栄典の価値も疑われてしまう。

 

力による解決である 侵略に対しての憤り・犠牲への悲しみ・重苦しさやが続いている。

 

暴力を行使できる特権も、その恩恵に浴する特権も、認められるべきではない。